世論調査の危うさについて

キリスト教保守のニュースサイトDacota Voiceに
Schiavo事件における世論調査の危うさを突いた興味深い記事が投稿されています。

世論調査というものが如何に結果を正確に予測できないか
今年の大統領選で露呈されているが、
Terri Schiavo事件ではそんな不確かな世論調査に影響されて
彼女は餓死させられたのだ、と。

Terri Schiavo Execution Sanctioned by Faulty Polls?
Carrie K. Hutchens
Dakota Voice, June 8, 2008


Terri Schiavo事件の際に夫や夫に賛同する人たちが
世論調査の結果を引き合いに出しては
アメリカ国民はTerriの「生命維持装置」を外すことに賛成していると主張し、
それが裁判所の命令に、無視できない影響力を持つことになった。

しかし、その世論調査では
Terriさんが脳死状態ではなく自力で呼吸していることが充分に確認されておらず
それが具体的にはチューブ栄養のことだということも曖昧なまま
「生命維持装置」の取り外しの是非を問うたものであって、
世論調査に参加した多くの人は答えるに当たって
「生命維持装置」とは「人工呼吸器」のことだと受け止めていたし、
Terriさんが「脳死」状態にあると思い込んでいた。

それらは世論調査の質問がそう思わせるように作られていたからである。

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ここで指摘されている世論調査の設問の危うさという問題については
“Ashley療法”論争の際に私も大いに憤りを感じました。

Ashleyがどのような子どもなのか、彼女の実際の障害像を確認することもないまま、
多くの人が勝手にAshleyは植物状態なのだとカン違いし、
「どうせ人間らしい反応は何もないのだから」、
「どうせ何も感じることがないのだから」と思い込んで
彼女に行われた医療上の必要のない過激な医療行為を是としました。

Ashley事件でもインターネット上に
発達障害のある子どもの成長を止めた親の判断は倫理的なものだと思いますか」という
(あまりにも)大まかな設問の世論調査が出現しており


現在(7月15日朝時点)のところ、

「それがケアする唯一の方法であるなら理解できる」が35%
「非倫理的である。障害があっても成長・成熟する権利を有する人である」が51%
「どちらとも分からない」が14%

しかし、Ashley事件での親と担当医の、あの正当化から
成長抑制が「彼女をケアするための唯一の方法だった」と果たして言えるものでしょうか?

この世論調査においても、
設問の立て方そのものが問題を単純化しすぎていること
事件の事実関係を全く誤ったままYESの答えを誘導していること
などの問題があります。

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もう1つ、最近目に付いた、やはり米国の世論調査

米国民の52%は「重い障害を負うくらいなら死んだほうがマシ」と考えているとの
結果が出たというもの。




ここでもまた設問の立て方そのものが大いに疑問。

具体的には一体どういう障害像のことを問うているのか
「重い障害」という言葉は非常に曖昧です。

ここには当ブログでこれまで指摘してきたように
Peter Singerやトランスヒューマニストらの議論で
「障害」が常に「最重度」として語られるイメージ操作、

そこにある多様性も程度のグラデーションも無視されて
常に最重度のイメージに基づいて議論が進められていくのと同じ危うさがあるのでは?


彼らが「重い障害」を論じる時には
その「重い障害」という言葉はいつの間にか脳死植物状態と重ねあわされ、そのために
「重い障害を負ったら死なせるのが本人にとっても社会にとっても最善の利益」という結論が導き出されて、
障害児・者の「無益な治療」拒否や自殺幇助を含む尊厳死の法制化へと
世論を誘導していこうとしていると思われるのですが、

現実に医療が差し控えられたり、栄養や水分すら与えられなくなっているのは
脳死者でも植物状態ですらない、重度の患者なのです。

それは、
抽象的な議論や言葉から導き出される、一見ある種の基準らしく見えるものと
現実に行われていることとの間に大きなギャップが生じているということで、

抽象的な議論で巧妙なイメージ操作が行われることによって
本来行われるべき丁寧な検証の不在が目隠しされている。

そして個々の世論調査においても
同様のイメージ操作が行われているとしたら、
その危うさには、くれぐれも注意しておかなければならないと思う。