父が人工呼吸器をつけました

突然、81歳の父親が人工呼吸器をつける事態になりました。

以下に書いていることについては、
自分では冷静なつもりですが、
未整理なままの部分があったり、矛盾することを書いているかもしれません。
患者家族の揺らぎとしてご寛容いただければ。

また万が一、表現の拙さから誤った印象を与えることがあったとしても、
医療スタッフを批判する意図は全くありません。

(このエントリーについては悪しからずコメント不可とさせていただきました。)

基本的には私が自分自身の頭と心の整理のために必要としている自問自答に過ぎませんので。

    ------

父が胃潰瘍から穿孔・腹膜炎をおこして緊急手術を受けたのは17日のことです。

この病院には全く責任のない諸々の事情から、
栄養状態が非常に悪く脱水も極度に進んだ状態での手術となったために、
術後の全身状態は当然ながら非常に悪かったのですが、
術後2日目の20日には顔色もよくなり、声にも話しぶりにも力がこもって
なんとなく安堵の空気が漂い始めたところでした。
それが突然「息が苦しい」というなり、みるみる青ざめて呼吸停止。
あれよあれよという間に人工呼吸器が装着される事態。

もちろん主治医は部屋を出された家族のところまで同意を求めにこられました。
執刀医だけではなく、心臓の専門医もこられました。
「息ができない状態だから、呼吸器をつけて呼吸を助けてあげる」と言われたと思います。
ついさっきまで冗談を言っていた病人の急変に、
「つけない」という選択肢はありえない状況でした。
あまりの急展開に母は動転し、私は呆然としていました。

手術前の説明の中で、今後起こり得ることの最後に
人工呼吸器の装着の可能性も触れられてはいたのですが、
私は、術後の転機がよほど悪くて、だんだんと悪化していった場合には
その選択を迫られることもあるかもしれないから、父の様子によっては、
そのうち母と話し合っておかなければ……という程度に考えて、
タカをくくっていたのです。

まさか、こんな急展開で……と呆然とする一方で、
諸々の悪条件が重なっている高齢の父親の全身状態のことを考えると
あの一瞬で父はターミナルな状態に陥ったのだ……と、
どこかでぼんやりながら覚悟しようとする自分もいました。

医師からの説明は、
急性呼吸急迫症候群(ARDS)

現在、酸素濃度が100%。
しかし酸素は細胞を傷つけもするので、
今後1週間程度の間にこれを下げられるかどうかが山場と。

我々夫婦は重症心身障害のある娘が生まれてからの21年間に、
ありとあらゆる修羅場をかいくぐってきました。
生まれるや呼吸器がついたし、その後も胃穿孔も腸ねん転も骨折もあったし、
麻疹で数日間意識がなくなったこともあれば、肺炎や敗血症など何度あったか分かりません。

だから、もうたいていのことが「いつか来た道」なのです。
そして、正直な話、親の苦痛は我が子の苦痛に比べれば、まだしも見ている耐え難さも我慢できます。
(さらに正直な話、私は親との関係が決してよい方ではありません。)

が、その私にして、
ドクターの説明の後で病室に戻った時は衝撃を受けました。
その時の感触のまま正直に言葉にすると、
「散々拷問を受けて惨死体と化した親」に対面したような気分。
そのくらい、ベッドの上には“医療のムゴさ”が剥き出しになっていました。

家族が人工呼吸器をつけた患者の姿を見ていられない気持ちになると聞くのが、
「わかる」とその瞬間に思いました。

そして、ぎょっとしたのは、父の手が動いていたこと。
しかも、意思のある動き方をしていたこと。
思い切って声をかけたら、はっきりとうなずくのです。
挿管されて極限までのけぞった頭で、目をテープで閉じられ、モノと化したような姿のまま。
鎖骨の下に太い穴を開けられたばかりの生々しい傷口をガーゼで覆われて。

私に続いて、母と兄が声をかけると、やはりしっかりうなずきます。
それは恐ろしい事態でした。
今のこの状態は本人には間違いなく地獄のような苦しみのはずなのです。
もっと意識レベルをしっかり落としてやって欲しい、と痛切に願いました。

そして、そう願った瞬間に、それは
家族と父とのコミュニケーションの断絶を意味してもいるのだということを強く意識しました。
事態の深刻さからすれば、
今まだ意識のある父に家族との永遠の断絶を強いることにもなりかねないのだろうか、とも。

ほんの2時間前には家族はもちろん父自身、
まさか、こんな事態など予想もしていなかったはずです。

今、凄まじい苦痛の中で、父はどういう思いで家族の声を聞いたのか。

もう、こんな目に合うくらいなら、いっそ殺してくれと願っているのか、
それとも家族の声かけに必死でうなずく父は、
呼吸停止で一旦失った意識が戻ったことを喜んでいるのか、
この苦痛に耐えて無事に生還したいと心に念じているのか、
それともまた目が覚めることを疑わず、苦しいから早く眠らせてくれと思っているのか。
もう何も考えられないほどの苦痛の中で、
ただ聞こえているということを家族に知らせようとうなずいているのか。

いきなり、こんな事態に投げ込まれてしまった本人は一体どういう気持ちになり、
何を考えるものなのか、私には想像もつかない。

ただ、父が生きながら肉を刻まれるほどの耐えがたい苦痛を、
ただ抵抗できないがゆえに耐えさせられているのであれば、
家族の気持ちなどどうでもいいから、父をそこから今すぐ逃がしてやってくれ、
意識を完全に落としてやってくれ、と私はたまらない思いで願ったのです。

しかし、家族それぞれの思いは微妙に違っていたのかもしれません。
そのことを、昨日からずっと考えています。

今日の父は、完全に眠らせてありました。ほっとしました。
声をかけ、触れれば、必ず意識にも触れると思う。父の夢の中に届くと信じる。

ただ、昨日、苦痛の中でも必死で声かけにうなずいた父は
まだ家族の手の届くところにいたのだけれど、
今日の父は家族の手の届かないところにいってしまっていました。

私は今まで医療における本人と家族の意思のバランスの中で、
本人が苦痛を味わっているのに家族のエゴでそれを長引かせるのは残酷だ
という方向ばかりで考えてきました。

でも、今日の父を見てからずっと頭からはなれないのは、
もしかしたら、このままになる可能性が少しでもあるのだとしたら、
苦痛があるからという周囲の判断だけで意識を奪われることを
果たして本人は望んだのかどうかということ。

昨日、まだ意識があった父が死を意識していたとしたら、
もしかしたら最も恐ろしかったのは凄まじい苦痛ではなく、
このまま家族との意思疎通を奪われてしまうことだったのだろうか、ということ。
自分の意思を確認してもらえないまま眠らされてしまうことが
父には恐怖だったか、苦痛からの救いだったか、どちらだったのだろうか、ということ。

もちろん、現実にどういう選択肢があるかということとは無関係な物思いなのですが。