“溜め”からAshleyケースを考えてみた

もう去年の1月の“Ashley療法”論争など忘れ去られたかに見える今でも、
“Ashley療法”を取り上げるブログというのはたまにあって

「貧困――『すべり台社会』からの脱出」を読みながら、
介護負担と家族の“溜め”ということを考えていた先週も、

「おいおい……」というのと「これ良い案じゃん」というのと
丸反対のトーンのブログ記事が2つたまたま出てきたので、
介護負担と家族の“溜め”を巡る物思いがAshleyに繋がった。

そこで

父親がマイクロソフトの役員だという家庭の“溜め”って……?
と考えたら、

Ashleyの父親が介護負担を云々することそのものが笑止千万──。
つい笑ってしまった。

みんな、もういいかげんに気づこうよ。
父親のブログの写真をよく見てくださいね。
あれは相当な豪邸ですよ。

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去年の1月の論争当時に日本のブログで
「日本の重症児でこれだけ身ぎれいにしてもらっている子どもはいない」と
誰か感嘆していた人がいたけれど、

それは日本の親が介護の手を抜いているからではありません。

重症児の介護には1日中次から次へと細かい用事や仕事・介護が数珠繋ぎになっていて、
それに加えて親はプロの介護者と違って家事もあれば、
障害のない兄弟の子育ても同時にこなしていくわけですから、

涎や食べこぼしでちょっと汚れたくらいでいちいち着替えさせたり、
毎日アイロンがびしっとかかったシーツに交換している暇も体力もないからです。

重症障害のある子どもを懸命にケアしている普通の専業主婦の日本の母親にして
「これだけ身ぎれいにしてもらっている子どもはいない」ということを念頭に

マイクロソフト社の重役がどれほど多忙か、
その妻が社会的なお付き合いにどれほど時間を割かなければならないかを想像したら

Ashleyのベッド周りがあれほど整然として、
本人がいつも身ぎれいにしてもらっていて、
しかも、あんな細やかでカンペキなポジショニングまで……。

家族だけであんな完璧な介護ができると、みなさん本当に思います──?