精子250㌦、卵子1000㌦で、どう?

オーストラリアの生殖補助医療で精子卵子の提供者不足により、
それらの調達を患者が米国からの輸入に頼らざるを得ず、
中には精子に1000㌦も取られている患者もいるとして、

リーズナブルな報酬として精子に100㌦、卵子に250㌦程度を支払ってはどうだと、
Chanberra不妊治療センターの医療部長Stafford-Bell医師が提唱しています。

Plea to pay egg, sperm donors
The Canberra Times, May 23, 2008

金銭授受を伴わない愛他的な提供はオーストラリアでは急速に死につつあると
同医師が嘆く背景には、
オーストラリアでは愛他的な精子卵子の提供の際には
生まれた子どもが18歳以上になった場合に自分を訪ねてきてもよいと
同意する必要があるとの事情があり

同医師は

このままいくと、次には
子どもが提供者を探し出しやすいように、
オーストラリア人の精子卵子しか使用できないという規制が敷かれるだろう。

もう何年も行われているスタンダードな医療なのに
ごくごく基本的な医療をオーストラリアの夫婦は受けられないなんて、どうかしている。

(金銭で報酬を払おうとの提案は物議を醸し、
貧しい人からの搾取につながるとの批判が起こるだろうことは覚悟の上だが)

この世の中、誰だって選択をしている。
一体なんだって卵子精子の提供だけは選択できないんだ?
報酬の支払いを批判するなんて、狭量すぎると思う。

一方、オーストラリア不妊ネットワークAccessの代表者Sandra Dillさんは
金銭で報酬を支払ったからといって提供は増えないのではないかという見方を示し、
提供者が増えないのは手間や犠牲に100㌦もらうかどうかという問題ではなく、
むしろ自分の子どもたちと血のつながった兄弟を世に送り出すことになるという問題。
教育キャンペーンで呼びかけるのがよい、と。

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そういえば、マイケル・クライトンの小説「NEXT」の中に、
ある日突然たずねてきた若い女性に自分はあなたの娘だと名乗られる
医者だったか弁護士だったかの話がありました。

彼はそんな覚えはないとつっぱねるのですが、そのうちそういえば
ずうっと昔の学生時代にアルバイト感覚で精子を売ったことを思い出し、
しかし、それは親としての責任をもたらすものではないし、そもそも
自分が大学生だった時代にはIVFで生まれた子どもにはドナーを探す権利など
今みたいに認められていなかったのだと説明してやるのですが、
相手は「あなたを訴えると知らせに来たのだ」と思いがけないことを言います。

何で訴えるというのかはネタバレになるので差し控えますが、
確かに「あっ、なるほど~」と唸ります。
この時代なればこその理屈として通っている、と思う。

ハイテク時代の最先端を生きているつもりだったこの男にして、
時代は既に先へと進んでいて、男の価値観はこの娘の時代からは既に取り残されているというか、
ハイテク時代の価値観が、それ自身によって復讐されるというか、
めいっぱい皮肉がきいたエピソードです。

そんなふうに時代が先へ先へと移ろっていくに連れて
人間のすることには必ず間違いは起きるし、間違いやちょっとした食い違いが起きた時に
今のハイテクの世の中ではどういうことが起こってしまうのかという実例をなんとも多彩に描いて、
実に楽しめる、そして同時に怖くもなる本でしたが、

話を上記のニュースに戻して、
金銭報酬を批判するのは狭量だというなら、
精子卵子をただの治療資材のように考えることこそ、あまりに軽率・浅薄なのでは?