「わたしのリハビリ闘争」に思うこと

収録された文章のいくつかは発表された時に新聞などで読んだので、
これまでは取り立てて読んでみようとは考えなかったのだけれど、

何がきっかけだったか急に手にとってみる気になって、
多田富雄「わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか」を。

2年前の診療報酬改定でリハビリが急性期と回復期に重点化され、
実施する期間に一律で上限が設けられて維持期リハが切り捨てられたことに対して、
脳卒中の後遺症でリハビリ中の世界的免疫学者、多田富雄氏が
朝日新聞への投稿を皮切りに言論闘争を繰り広げた際の論説集。

機能の改善のためだけでなく維持や低下予防のためにもリハビリは不可欠で
そうしたリハビリによって日常生活をかろうじて維持している患者に
リハビリ中止は「死ね」というに等しい。

上限日数以後は介護保険で、と厚労省はいうが
介護の現場には受け皿になるだけのリハビリが質量とも存在しない。

リハビリの切捨ては今後さらに進む弱者切捨ての前兆に過ぎない。
(この春始まった後期高齢者医療制度を考えると、まさに的中の予言ですね。)

……などを大きな論点として氏は批判を展開しているのですが、

とにかく、多田氏はまっすぐにひたすら憤っている。

脳出血の後遺症と闘いながら執筆活動を続けていた社会学者の鶴見和子さんが
リハビリ中止からどんどん状態が悪化して遂に亡くなったことについて、
「小泉さんがこの硯学を殺したと、私は思っている」とまで書く。

さらに
リハ医療界の大物、石川誠氏(長嶋茂雄氏のリハ医として一般に名が知れた)がこの切捨てを主導したが、
それは自分の病院などが担っている回復期リハへの利益誘導が動機であった
とも実名を挙げて指弾している。

(高額な医療費がかかる富裕層対象の病院だというウワサは前に聞いたことがあったけど
 石川医師が院長を勤める回復期リハ病院が大手セキュリティ会社セコムの資本だというのは
 私はこの本で初めて知った。びっくり。

 そういえば厚労省が介護予防を云々し始める前には
 高額な機器を使用したパワーリハというのが流行っていたっけな。
 あれも某高名医師に近い某企業の専売特許みたいにして広がっていたんだったっけな。)

この世界的免疫学者は脳卒中に見舞われて口でしゃべる言葉を奪われ、
現役を退きはしたものの、リハビリのおかげでものを書く能力を取り戻した。
厚労省のリハビリ打ち切り策がそれまでも奪おうとした時、
氏は自分がもはや1人の弱者であることを骨身に沁みて痛感したのではなかろうか。

これほど、どこまでも丸裸の怒りを表明することは、
世の中でうまく渡っていこうなどという世知が残っている人間にはできないと思う。

これは現役を退いて世間から“降りた”人ならではの
ひたすらまっすぐな怒りなのだなぁ、とつくづく。

それにしても、
世界的な免疫学の権威であり強者であった氏の発言を世の中はどのように迎えたか、
転じて、弱者となった氏が渾身の力をかき集め、
ひたむきな怒りをこめて発するこれらの声を
世の中のマジョリティがいかに軽々と聞き流してしまうことか。

氏のこれまでの多くの著書の出版社や出版の形を
この本と比べてみると一目瞭然。

著名な学者であっても弱者が憤る声は、ゼニにはならない……。


        ―――――――

ちなみに氏の闘病記の方は大手出版社から出ています。
読者のみなさんも尋常ではない感動振りです。

Amazonで読者書評を読んでいると、
私などは見たこともないような用語が登場したり、
いずれの書評も高尚で格調高く、
さすがに闘病記の読者までレベルが高いのかと感心しそうになったところ、
ひょっこりと
脳卒中になった人も、著者より苦しんでいる人もいっぱいいる、
そういう人と著者の違いは
著者は病気になる前から有名だったということだけだ」
という感想が登場し、思わず笑ってしまった。

自分が読んでいないのだから何を言う資格もないけど、
これもまた、きっと一面としては真実だよね。

障害者が「感動と勇気を与えてくれる社会のオアシス」でいる限り
世間は拍手を送るけれども、
障害者が自分の権利を正面から訴え始めるや、
拍手をやめて背を向けるというのも
一面としての真実であるように。