慈善資本主義

「慈善資本主義(もしくは博愛資本主義)」という新語ができているんだそうな。
英語ではphilanthrocapitalism。

例えばロックフェラー、フォード、カーネギーといった大金持ちが
かなり大雑把な理念であちこちにお金を投じた20世紀の慈善事業のやり方を
慈善ヴァージョン1.0とすると

21世紀の現在、例えば
マラリアGDPに与える損失を算定して
それなら撲滅にお金を使うことに価値がある…と判断を下すBill Gates氏のように
投資と同じ計算で「社会の利益を最大にする」ことを目的とした慈善事業は
いわば慈善ヴァージョン3.0だと、
以下の記事を書いた筆者のPeter Wilbyは言う。

(進化・変貌の大きさを強調して3.0としているので
ヴァージョン2.0については不問に、とのこと)

It’s better to give than receive
By Peter Wilby
The New Statesman, March 19, 2008


富裕層や慈善団体が「さぁ、自分はどこに寄付をしよう?」と考える際に参考にと
英米には各種チャリティや団体の活動データを提供する団体があって、
そのようにして行われる寄付行為で働く原理はどうやら
「最少金額で最大多数の生命を救うために」。

Wilbyはこうした慈善事業のあり方に5つの懸念を述べているのですが、
簡単にまとめると、

社会の格差を肯定、固定化し、
これまで税を通じて富の分配を担ってきた政治の社会保障機能を鈍化させ、
ごくわずかな富裕層のコストパフォーマンスの価値観が優位となることで
支援の効果が見えにくい(つまり最も支援を必要とする)人々が黙殺されていく、
また、これまで社会の変革をもたらしてきた市民運動の活力がそがれる。

そもそも超富裕層が慈善事業を通じてやっているのは
実は己のビジネス拡大だけであるばかりか、

彼らが慈善資本主義によって流しているのは

「世の中が抱える問題は我々のビジネス・テクニックに任せて。
 そのかわり我々を大金持ちにしてくれる仕組みはこのままにしといてね」

というメッセージに他ならないではないか、とWilbyは批判。

……というのが「慈善資本主義」。

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Shiavo財団がスポンサー不在に困っているんだったら、
Gates財団に支援を申請すればいいのに……と
前のエントリーでふざけてみたけど、
ジョークにしても、この溝、相当に深かったようですね。

「最少金額で最大多数の命を救うため」というのにしろ、
この記事に書かれているゲイツ財団の支援原則の
「最も大きな変革を起こせるところにお金を」にしても、
結局はリベラルな生命倫理の説く功利主義の論理。

彼らのお金はShiavo財団ではなく、
むしろ「無益な治療」論を後押しする方向に動くことでしょう。