シャイボ財団の奮闘
前のエントリーで Nat Hentoff による Schiavo事件批判を紹介しましたが、
これについては、私も Ashley事件について眺めてくる過程で、
まったく同じ必要を痛感しているところ。
まったく同じ必要を痛感しているところ。
事件を巡るブログやニュース記事へのコメントを見ていると、
自分で意思決定できにくい人の権利擁護のために
法的代理人制度を始めとする然るべき手続きの存在が知られていないのはもちろん、
そういう人の権利が慎重に擁護されることの大切さがそもそも
ほとんど認識されていません。
自分で意思決定できにくい人の権利擁護のために
法的代理人制度を始めとする然るべき手続きの存在が知られていないのはもちろん、
そういう人の権利が慎重に擁護されることの大切さがそもそも
ほとんど認識されていません。
そうすると、
本来の「しかるべき手続き」を基準に事実を検証するということがなされないまま
本来の「しかるべき手続き」を基準に事実を検証するということがなされないまま
イメージ先行の「常識」によって大雑把な感情論で是非が論じられ
いつのまにか「世論」が盛り上がっていく。
いつのまにか「世論」が盛り上がっていく。
「しかるべき手続き」に対して敢えて知らないフリをして
世論の目をそこから逸らせようとする意図が働いた場合に
世論とは、いかに誘導しやすいものであることか。
世論の目をそこから逸らせようとする意図が働いた場合に
世論とは、いかに誘導しやすいものであることか。
(Ashley事件はその典型でしょう。)
また財団が今後やろうとしていることとしてHentoffが紹介しているのは
アラート・システム
Terriと同じような状況に置かれた人を財団や支援者に知らせる機能。
Terriと同じような状況に置かれた人を財団や支援者に知らせる機能。
大変な事業です。
Terriさんを救うことができなかったご家族の無念を
自分たちの個人的な憤激に終わらせず
障害への無理解による多くの障害者の切捨て阻止に向けて
積極的に行動される情熱と行動力に敬服します。
自分たちの個人的な憤激に終わらせず
障害への無理解による多くの障害者の切捨て阻止に向けて
積極的に行動される情熱と行動力に敬服します。
しかし財団への大口スポンサーはまだいないとのこと。
マイノリティの権利擁護はやっぱり利権とは無縁だからなのでしょうか?
マイノリティの権利擁護はやっぱり利権とは無縁だからなのでしょうか?
ゲイツ財団に支援を申請してみたらどうなんだろう……?