脳死宣告された男性が回復し「気分良好」と

Zach Dunlapさん(21)が交通事故にあい、
テキサスの病院で脳死を宣告されたのは去年11月19日のこと。

臓器提供に同意した家族がいよいよZachさんと最後の別れに臨んだ時に手足が動き、
ポケットナイフで足をなぞったりツメの間に押し付けたりすると反応を示した、と。

48日間後に退院を許され、現在自宅療養中。

Man Declared Dead Feels ‘Pretty Good’
Associated Press, March 24, 2008


3月24日にNBCテレビの番組に両親と共に出演した彼は
医師らが自分の死亡宣告をするのを聞いたことを覚えていると語り、
「動けなかったから、その時やりたかったことができなくてよかった」と。

「その時やりたかったこと」というのは医師らに掴みかかって生きていると言いたかったのかと問われて、
「たぶん窓が飛び散るくらいの激しさで掴みかかっていただろうね」

脳死状態の彼の脳のスキャンを見た父親の話でも
血流は全く見られなかったというのですが、
いまだに記憶には障害があるものの
テレビに出演してこれだけ筋の通った会話ができるところまで回復しているのは事実。

「本当にありがたいです。諦めないでいてくれたことがありがたいです」

Dunlapさんのこの言葉、
よくよく考えると恐ろしい言葉ではないでしょうか。

諦められて、
臓器を摘出するための医療に切り替えられて
死んでいく人が現実に沢山いるのだから。

その人たちがもしかしてDunlapさんと同じように
自分が脳死宣告される声を聞いた記憶を持ちつつ死んでいくのだとしたら……?

臓器を保存するための処置を(それはとりもなおさず自分を殺す処置になるわけですね)
医師らが始めようとする気配や会話が
もしかしてその人の最後の記憶になるのだとしたら……?

そんな孤独と絶望の中で死んでいくことが
ドナーになろうとの愛他的行為の見返りなのだとしたら
それはあまりにも酷い話では?