男児割礼論争にD医師

なにしろ私は世の中のたいていの問題についてモノを知らないので、
いまどきアメリカで男児に割礼を行うのは熱心なユダヤ教徒の家庭くらいなのだろうと
何の根拠もなく思い込んでいたために
いまだに半数が割礼を受けているという以下の記事にはビックリしたのですが、

1965年に米国で生まれた男児の85%が割礼を受けたのに対して、
2005年には56%にまで減少。
そのために以前は「そういうもの」と深く考えずに行われてきた慣行に
夫婦間で意見が分かれるケースが増えてきているとの記事。

Delicate decision: To circumcise or not?
By Marnell Jameson, Speical to the Times,
The Los Angels Times, March 31, 2008

読んで「なんだ、そりゃ?」と、つい笑ってしまったのは
アメリカ小児科学会の男児割礼についてのガイドライン

「現存の科学的エビデンスでは
新生男児の割礼に医療上の利益がある可能性も示されてはいるが
しかしルーティーンとして推奨するに充分なデータではない」ので、
両親はそれぞれ子どもにとって何が最善の利益かを考え、
医療上の利益のみでなく文化的、宗教的、民族的な伝統も考慮に入れるのが望ましい……
……のだそうで。

ついでに米国泌尿器科学会の見解。
「新生児期の割礼には不利益とリスクと同時に医療上の利益と利点もある……(中略)
医療上の利益とリスク、民族的、文化的、宗教的、また個人的な選好も考慮されるべきである。」

要するに「おのおの好きなようにして」ということだったわけですね。

さすがに夫婦の間で意見が割れるという事態が起こってくると
こんないいかげんな態度では専門家集団としてバツが悪くなってきたところに、
(というのは記事にはないspitzibaraの勝手な解釈に過ぎませんが)
アフリカの成人男性の調査で
割礼した人はしていない人よりも異性間性交によるHIV感染の確率が低い
という結果が報告された。

ただし人種も違えば、
米国で問題視されている男性同士の性行為による感染とは別の話でもあり、
米国疾病予防管理センターCDCが現在この調査結果を精査・検討中。

そこで小児科学会としても、この新データをもとに
新しくガイドラインを見直すための検討チームを昨年作り、
来年にも新ガイドラインが発表される予定とのこと。

で、上記記事にはそのチームから2人の医師が取材を受けているのですが、
1人がAshleyケースで今なお奮闘目覚しいDiekema医師で
もう1人はユダヤ人で「自分のところで伝統の鎖が切れるのはイヤだった」から
ユダヤ人ではない妻の反対を押し切って息子に割礼を行ったFreedman医師。

米国小児科学会・検討チーム・メンバーの発言だと考えると
以下のFreedman医師の発言には
また笑いを誘われてしまうのですが、

「だいじょうぶですよ。
親がどっちの決断をしたとしても、
たいていの男は自分の持ってるものをよしとするのだから」


       ―――――

一方、この問題に関するDiekema医師の発言は、
Freedman医師に比べれば、かなり生真面目です。

割礼について最近意見が分かれているという事実は悪いことではありません。
宗教上の信念がないのであれば、
両親の考えるべき主たる問題は割礼が子どもに利益となるかどうかでしょう。
データからは利益になるともならないとも言えません。

まったく不思議なのですが、
Ashleyケース以外の問題においては
実に健全な発言をするのですよ。この人は。

ここでも「データからは利益になるともならないとも言えない」のだから
「意見が分かれるのは悪いことではない」と言っている。

学会のガイドラインと同じで、結局そうとしか言えないのでしょうが、
「意見が分かれるのは悪いことではない」というスタンスは慎重。
その慎重さが健全・まっとうだと思います。

その人が“Ashley療法”についてだけは
データが皆無な novel で controversial な処置であり
「効果も副作用も想像する以外にはない」と論文に書きながら
「慎重な検討の結果、本人の利益と結論した」だとか
「どうせ本人には尊厳すら理解できない」などと
訳の分からない強弁を振り回す──。

しかもこの問題については「意見が分かれてはいけない」ようで
“Ashley療法”批判に対しては、きわめて攻撃的な姿勢を剥き出しにする。

つまり、Ashley問題での発言と他の問題での発言の間に一貫性がないわけです。
前者ではウソを強弁で誤魔化そうとするからそうなる、としか思えない。