「メモリー・キーパーの娘」

もうとっくに翻訳が出ているのだとばかり思っていたら
今朝の新聞に「いよいよ刊行」と広告が出ていたので、
ずっと前から一度触れたいと思いつつ
そのままになっていたこの本を思い出して。

ひょんなことから妻の出産の際に自分で子どもを取り上げることになった医師が
生まれた娘がダウン症だと見るや、
居合わせた看護師に託して施設にやり
死産だったとウソをつく決断をします。

実際には託された看護師がそのまま町を去り、
誰にも内緒で赤ん坊を自分の娘として育てるのですが、
町が猛吹雪に見舞われたこの一夜のウソは
その後25年間に渡って医師の家族の人生に
微妙な軋みを生み続けます。

医師と看護師それぞれの行為の背景には
医師が重い病気の妹と暮らした少年期のトラウマや
看護師が医師に抱いていた恋心などがあり、
それぞれの人物の単純に割り切れない思いをていねいに描いて、
重厚でリアルな心理ドラマになっています。

その中でダウン症の娘Phoebeだけは素直に成長する姿はすがすがしく、
そのPhoebeも成長するに伴って
自立を求めて母親(看護師)に対決姿勢をとるようになる展開や、
母親の方も成人した娘との関係のとり方に悩みぬくなど
障害のある子どもと親の問題をかなり突っ込んで描いてあると思います。

ただ、心理を描くという面では重層的で成功していると思う反面、
女手ひとつで障害のある子どもを育てる際の現実問題についても、
障害のある子どもの成人期の自立がそう簡単ではない現実問題についても
都合のよいタイミングで都合よく解決されていくという印象はぬぐえず、
「多くの人はこんなに恵まれていない状況で
 同じ問題に直面しているんだけどなぁ……」
という不満を抱きつつも、

出生前診断ダウン症だと分かったら多くの人が堕胎を選んでいる、
障害のある生は生きるに値しない生であるかのように
生命倫理の議論が声を張り上げて言いなそうとする時代に、
障害があることはすなわち不幸なのか
障害のある子どもの親になることはすなわち不幸なのか
と問いかけるいい作品だと思いました。



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