Katieケースで始まった障害者たたき

Katie Thorpeの子宮摘出却下を報じるTelegraphの記事には
今の段階で15のコメントが寄せられています。
最初の1つが「母親には気の毒だけど子宮摘出が答えではないでしょう」
と書いた他は全て、却下の判断への非難と障害者団体たたきです。

論点は概ね以下の3点。

・ 日々の介護を担う母親が一番よく分かっているのであり、
直接の責任を負わない外部の者にとやかく言う資格はない。

・ Katieにはどうせ子どもを生むことなどできないのだから、
 子宮を摘出することで彼女が失うものはない。
逆に苦痛から解放されてQOLが上がるというのに。

・ 障害者たちにはKatieとAlisonの実際の苦労が分かっておらず、
政治利用するために机上の空論でキレイごとを言っているだけ。

この問題が報じられて以降のメディアの偏向した報道による世論誘導が
完全に成功しているのではないかと危惧される論調ばかりです。

実際のコメントの一部を以下に。

・ バカな! 娘の生活がもっと良くなりラクになるというのに、なぜ母親が決められないの?……たまには常識で判断したっていいでしょう!

・ このシナリオ全体がそもそもバカバカしいし、人権規定があほらしい行き過ぎを生む例がまた作られたということだ。

・ いわゆる障害者の権利団体の意図がいかに価値あるものであるにせよ、ドグマで目を曇らせないでもらいたい。

・ 障害者の人権団体は“喜んでいる”などと、恥を知れ。

・ 身勝手極まりない人たち! もしKatieにモノが言えたら、さぞ感謝するでしょうよ。自分には使うこともできない生物学上の機能を維持する代わりに尊厳のない苦しい生活を送る権利があると、あなたたちが飽きもせずに訴え続けてくれたことにね。

・ この問題で気に入らないのは社会正義を気取る連中だね。この可愛そうな少女の面倒を見ているわけじゃないのに。この子の母親が死んだ時に、彼らが面倒を見てやるわけでもあるまいに。


【追記】

この人たち、自分の言っていることの半歩先にあるのは
「だから、すべての重症障害女児の子宮を摘出しましょう」
「介護しやすく、背が伸びないように全員にホルモン療法をしましょう」
という理屈なのだということは、考えないでしょうか。

              ―――――

Katieの子宮摘出却下の報道によって巻き起こっている障害者たたきについて、
障害当事者のブログBad Crippleが取り上げています。


私がこれまでに読んだコメントはすべて母親擁護のもので、
障害者と健常者の間にある文化の分断が今なお大きいことを
くっきりと描き出している。

いくつか上記のような激しいコメントを引用した後、

Ashlely事件のDiekema医師が講演を行い、
Katieの母親は戦い続行を宣言するという現在の展開について

こうした展開はとても気にかかるし、
そこに描き出されているのは、
障害者の平等が紛らわしいものであること、
また障害者の平等が苦しい戦いであるということ。

   ――――         ―――

これまでも目だたないところでは続いていた
「トランスヒューマニズム」 vs 「障害者の権利」という構図が

ここにきて
「親の愛情」 vs 「障害者団体のイデオロギーによる抵抗」という構図に置き換えられて
一気に社会全体に広がろうとしているのか……

……という胸騒ぎのようなものを
メディアが煽った、この「空気」に感じてしまいます。

「親の愛情」vs「自分勝手な障害者団体」という
単純な対立の構図に持ち込んでしまいたい人たちが存在する事を
私たちは念頭に置いておかなければならないのでは?