「最善の利益」否定するDiekema医師 (前)

今年7月のシアトル子ども病院生命倫理カンファレンス
最後のプログラム、Diekeme医師のプレゼンテーション
「子どもの医療を巡る争議において(立場や意見の)相違を理解すること」。

Diekema医師はまず、
当ブログでも紹介したAbraham Cherrixの抗がん剤拒否事件を含め、
子どもの医療を巡って医師と親が対立した3つのケースを紹介。
(Cherrix以外のケースは、また別エントリーで詳述の予定。)

これらを参照しながら、
親と意見が食い違った場合に
医療サイドが念頭に置くべきことについて、
7つの考察ポイントを上げて解説しています。

その中でもDiekema医師が最も力説しており、
“Ashley療法”論争との関連からも最も興味深いのは、
「最善の利益」についての考察3でした。

このあたりのDiekema医師の話は、概ね以下のような流れ。

・「最善の利益」スタンダードはもともと養子縁組や親権などを考える際に家族法で使われていた基準が医療に拡大利用されるようになったもの。医療における意思決定に使う基準としてはベストではない。

・そもそも「利益」とは数値化できるものでも数式のように計算できるものでもなく、もっと複雑なもの。医療を受けさせるために親から子を引き離す場合など、医療における利益だけではなく、もっと幅広い子どもの利益を考える必要がある。

・親も常に逐一子どもの最善の利益だけに基づいて行動するわけではなく、社会生活の都合や事情が子どもの利益に優先しているのが現実。

・我々の社会そのものが、子どもの最善の利益を無視して動き、そのくせその代償だけは子どもに支払わせている。もしも子どもの最善の利益を優先するならば、最低賃金と教育、医療保険、働く親への保育を保障し、公害問題に対処するなど社会全体が変わらなければならないはずだ。そんな中で子どもの「最善の利益」を云々するのは偽善めいている。

・問題は「医師がある医療介入を子どもの最善の利益だと考えるかどうか」ではなく、むしろ「その介入はどの程度正当化できるのか」。つまり、「その医師は裁判所の命令をとってでも介入しなければならないとまで考えているか」という点である。

なんと。

「最善の利益」は医療判断の基準としてベストではない
とDiekema医師は考えているのですね。
まったく驚きです。

だって、

Ashley事件の際には、
正当化のほとんど唯一の根拠として
Diekema医師自身が「Ashleyの最善の利益だから」と
ひたすら繰り返していたのですから。


さらに驚くことに、

Diekema医師にとって「裁判所の命令をとる」ということは、
医療介入が正当なものであることの1つの基準だとは。

Ashley事件で違法性を問われたのは、
まさにその「裁判所の命令」がなかったことだったのですけどね。