“日常を暮らす”ことの力

英国では近年、
障害や病気のある家族の介護負担を担い、
子どもらしい生活を奪われて暮らしている
若年介護者と呼ばれる子どもたち(17万人と推計されます)の存在が社会問題化し、
彼らへの支援の必要が叫ばれていますが、

自分も介護者として子ども時代を送ったという男性が
マイナスばかりではなくプラスもあったと語る
珍しい論調のエッセイがIndependent紙にあります。


かつて多発性硬化症(MS)でどんどん機能が低下していく母親を
介護することが日常だった子ども時代について、
確かに普通とは違っていたかもしれないけど、
それなりに幸福だったと語るのは、Peter Stanford

介護負担を担う子ども時代にはマイナスもあるがプラスもないわけではない、
現在、自分が障害者団体Aspireの会長を務めているのがプラスの例。
この団体に所属している障害者の子どもを見ていても、
若年介護者だと知ったとたんにソーシャルワーカーが眉をひそめるほどに
彼らがひどい暮らしをしているわけではない、と。

もちろん、
中には過酷な介護生活に苦しみぬいている子どももいるわけで、
誰もが彼のように感じているとは限らず、
若年介護者への支援が整備されなければならない事実は変わらないとは思うのですが、

(そして日本では話題にすらならないけれど
家族の介護負担を担っている子どもは
この国にもいないわけではないと思われることは
非常に気になるのですが。)

ただ、この記事を読んで最も心に残ったのは、
放課後になると急いで帰って母親のトイレ介助をしたり、
転倒したまま床で待っている母親を抱え挙げたりするのが日課だった子ども時代を
そうはいっても悪いことばかりじゃなかったと振り返る時に彼が語る
思い出のささやかさなのです。

当時、英国政府が身体障害者に支給していた車椅子というのは
かなり大きな作りのものだったようで、
その車椅子に乗った母親の足元にクッションを枕にねっころがって、
学校にも送ってもらったし、教会へも出かけた、
同乗するのは規則違反なので
途中でお巡りさんの姿を見るとクッションで頭を覆って隠れた、
お巡りさんを無事にやり過ごすと、一緒に大笑いしたものだった、
あの車椅子に乗っている時の母はどこにいるよりも一番よく笑ったものだった、と。

          ――――――
 
なんというか、ね。
日々の暮らし、日常というのは、どんな境遇にある人にとっても、
こういうものなのかもしれないなぁ……と。

どんな境遇を生きる人にとっても、
日常という名の日々の暮らしには、
ささやかな楽しみや、ちょっとした喜びというものも挟み込まれていて、

心の底に大きな嘆きや悲しみを抱いたままでも、
そんな小さな日々の喜びや驚きや、ちょっとした心配事などに取り紛れながら
一喜一憂して暮らしていたりもするのではないか、
それも1つの幸福ではないか、と思うのですね。

もちろん自分や家族が障害を負ったり病気になることをはじめ、
思いがけない人生の不運や不幸に見舞われた時には危機に直面し、
それまでの日常も破壊されてしまうわけですが、

それでも様々なことにジタバタしながら再順応していったり
いろんなものを拒絶したり受け入れたりしながら
その危機を乗り越える過程で、
新しく直面した事態を織り込んだ日常というものを
人はまた新たに形作っていくんじゃないか、と。

障害者や病者に限らず、
実は誰もがそうしたプロセスを繰り返しながら生きているのかも知れず、

逆に言えば、
人間にはそうやって、
人生で起こる出来事に対して、
自分の日常を更新し、新たに作り直していく力が
ちゃんと備わっているんじゃないかと
思ったりもするのですね。

もちろん、
生身の人間がその身に引き受けられる負担には限界があって、
緊急事態並みの頑張りを強いられる日があまりに長く続くと
どうしても疲弊し、気持ちも体も擦り切れてしまいますから、
支援が不要だということでは決してないのですが、

人の幸不幸は
「こういう条件が整っていたら幸せ」、
「こういう状況だと不幸」というふうに
客観的な状況だけで端から簡単に決め付けられるような
単純なものではないんじゃないか、と。

日々を暮らすということ、
日常というものの中には
実はそれだけの力があるんじゃないか、と。