Norman Fost「子どもの臨床実験リスクには報酬で」

“リベラルな生命倫理学者”どころか“過激派”と呼びたいNorman Fostの
またぞろコワイ発言が、お膝元Milwaukeeの地方紙に。

Child health study stirs compensation question
Journal Sentinel (JSOnline 11月25日)

子どもの肥満や喘息に影響する環境要因を調べようと
連邦政府の助成を受けてWaukesha郡が行う長期追跡調査に参加者を募るに当たり、
謝礼をどうするかという倫理問題を巡って議論が起こっている、
というニュースです。

その追跡期間が21年間に及ぶものだから、
ボランティアで我が子を参加させてもいいと考える親が少ないのも道理。

そこで、
子どもに検査を受けさせるたびに現金だ、
いや野球のチケットだ、
電気代支払いチケットだ、
無料の音楽レッスンだ……
とケンケンガクガク議論になった挙句、
担当者らは医療倫理学者に意見を求めた。

そう。あのFostに。

難しいのは参加登録させることよりも、
長期に渡って参加を続けさせることだと
まずは当たり前のことを言うのですが、

それに続いてFostは、
「現金や物品の提供で誘うのが倫理上の問題になることはあるが、
この場合はそうする方が適切である」との判断を示し、
さらに以下のように述べます。

研究の被験者は社会に貢献しているわけだから。

大きなリスクを負えば負うほど、不便を引き受けるならそれだけ、
そのリスクと不便に相応のお金を払われて然り。

Fostは、つい先日も米医師会のジャーナルで、
医学実験で患者を守るためのプライバシー法が施行されてから
医師らが実験をしにくくなったことに不平を鳴らし、
同法の見直しを提言したばかり。
(詳しくは、Fostらが「プライバシー法は医学研究のジャマ」のエントリーに。)

あちこちでの発言をみると、
障害者や知能の低いものへの蔑視が露骨な人物でもあります。

一方、世間では
シアトルのバイオ産業が行った
遺伝子治療の治験で関節炎の患者が急死したケースでは、
実験の様々な疑問が指摘されているにも関わらず、
それらが特に問題となることもなく、
「被験者は深刻な反作用で死んだが、使用したウイルスによる死ではない」
とワケのわからない話のうちに実験が再開されたりもしている昨今。

このような背景の中で、
「被験者にはリスクと不便に応じた金銭が支払われて当然。
社会に貢献しているのだから」
との発言を読むと、

そこからは功利主義のホンネが聞こえてこないでしょうか?

「多数の幸福のために、
一部を犠牲にすることはやむをえないコラテラル・ダメージ

そして、過激派生命倫理学者のホンネも。

「医師や科学者が不便をしのんで被験者を守る必要などない。
リスクには金銭で報いてやればいいのさ。
 そうすれば貧乏な連中が喜んでリスクを引き受ける。
 実験がやりやすくなり、テクノロジーはさらに進歩する。
それが社会貢献ってものだろ?」