Naamの障害者観

以前のエントリーでRamez Naamの描く、
「みんなで頭が良くなって長生きすしようねっ」的ユートピア近未来像を紹介しましたが、

世界トランスヒューマニスト協会のサイトの感触では、
Naamは彼らのサークル内で、小粒だけど“若手ホープ”という感じの人。

そのためか表現も稚拙で、底の浅さが剥き出しという観は否めないのですが、

もともとトランスヒューマニストたちが言っていることというのは
ディテールや使っている言葉が違っているとしても
いかにもサイエンスなデータや大層な言葉を駆使して
読者をいかに幻惑するかという技術の巧拙に過ぎず、
内容的には、なんと没個性なのかと驚くほどに、
誰も彼も同じ近未来を描いているのです。

それを念頭に、大物の諸先輩方と同じく、
新興テクノロジーが進めば、障害者も障害を克服することができるのだと説く、
この“若手ホープ”の障害観の1例を挙げると、

……「頭のよくなる薬」「頭のよくなる遺伝子」だけでも、現在、精神障害と闘っている何千万という人々が救われることになるのだ。

「超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会」 (P.67)

頭が良くなりさえすれば精神障害は改善される……って、
精神障害というのは「頭が悪い」ことでした?

いまどき、こんな無知・蒙昧・認識不足がまだ残っているのかと唖然としますが、

しかし、あのワトソンの差別発言の背景にチラつく意識だって、
一皮剥けば、このI Tニイチャンのお粗末な偏見と実はまったく違わないのであって、

つまるところ、「頭がいい」ことが至上価値である彼らにとって、
知的障害や精神障害は、きわめて単純に「その対極」とイメージされているだけ
ということなのですね。

実際の障害については何の知識も持たないままでね。

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ところで、彼がここで言っているスマートドラッグ、「頭のよくなる薬」とは、
アンフェタミンや、日本で今いろいろ問題になっているリタリンプロザックなど。

それらの使用によって、
(もっと理想的には今後開発される新薬や、いずれ可能になる遺伝子操作によって、)
「感情や性格を自分で形作れる世界」(P.72)が来るのであり、

そういう時代においては自分がどういう人間であるかについて
自分で「しっかりと責任を持てるようになる」のだから、
「基本的には望ましい変貌である」(同)のだとか。

この文脈に平行して、
アルツハイマー病や精神障害者の介護や治療、生産性の損失などが
いろいろ算出されており、

さらに知能の向上が社会の生産性に直結しているエビデンスのつもりのデータも
いろいろ挙げられて、

また別のところでは、
カリフォルニア大学サンフランシスコ校とワシントン大学の研究者チームが
全ての妊婦が出生前診断を受けるのが望ましいと主張した(2004)ことに触れて、

その論文の主張の根拠とされた、
診断なしに生まれる障害児にかかる費用と、
全妊婦の診断にかかる費用との差し引き計算も
取り上げられている(P.155)ことなどを考え合わせると、

自分がどんな人間であるかが自己責任になった、
彼が「基本的には望ましい」と考える未来社会では、

自分が社会の生産性に寄与できない人間であることを放置している人、
または、そうした人間を産もうとする人は、

もしかして、粛清でもされるんでしょうか。

……なるほど“衝撃の”近未来社会。