Naamの障害者観
そのためか表現も稚拙で、底の浅さが剥き出しという観は否めないのですが、
もともとトランスヒューマニストたちが言っていることというのは
ディテールや使っている言葉が違っているとしても
いかにもサイエンスなデータや大層な言葉を駆使して
読者をいかに幻惑するかという技術の巧拙に過ぎず、
内容的には、なんと没個性なのかと驚くほどに、
誰も彼も同じ近未来を描いているのです。
ディテールや使っている言葉が違っているとしても
いかにもサイエンスなデータや大層な言葉を駆使して
読者をいかに幻惑するかという技術の巧拙に過ぎず、
内容的には、なんと没個性なのかと驚くほどに、
誰も彼も同じ近未来を描いているのです。
いまどき、こんな無知・蒙昧・認識不足がまだ残っているのかと唖然としますが、
実際の障害については何の知識も持たないままでね。
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それらの使用によって、
(もっと理想的には今後開発される新薬や、いずれ可能になる遺伝子操作によって、)
「感情や性格を自分で形作れる世界」(P.72)が来るのであり、
(もっと理想的には今後開発される新薬や、いずれ可能になる遺伝子操作によって、)
「感情や性格を自分で形作れる世界」(P.72)が来るのであり、
そういう時代においては自分がどういう人間であるかについて
自分で「しっかりと責任を持てるようになる」のだから、
「基本的には望ましい変貌である」(同)のだとか。
自分で「しっかりと責任を持てるようになる」のだから、
「基本的には望ましい変貌である」(同)のだとか。
その論文の主張の根拠とされた、
診断なしに生まれる障害児にかかる費用と、
全妊婦の診断にかかる費用との差し引き計算も
取り上げられている(P.155)ことなどを考え合わせると、
診断なしに生まれる障害児にかかる費用と、
全妊婦の診断にかかる費用との差し引き計算も
取り上げられている(P.155)ことなどを考え合わせると、
自分が社会の生産性に寄与できない人間であることを放置している人、
または、そうした人間を産もうとする人は、
または、そうした人間を産もうとする人は、
もしかして、粛清でもされるんでしょうか。
……なるほど“衝撃の”近未来社会。