「わたしのなかのあなた」から 3

父親のブライアンの視点から描かれている部分に、私には非常に示唆に富んでいると思える一節がありました。

まだ親になる前、若かったころのブライアンとサラ夫婦が旅先で出会った占い師の言葉です。そのとき、占ってもらおうと言い張ったのはサラでした。

運勢とは粘土に似て、時を選ばず形を変えるものだが、自分でつくり変えることができるのは自分の未来だけで、自分以外の人間の未来までつくり変えることはできない。ある人々にはそれが物足りないのだと。

現在のサラは、どんなことをしてでもケイトを死なせまいとしています。アナが腎臓の提供をしたくないと親を訴えたことに腹を立てています。アナはちょっと拗ねているだけで機嫌を直したら裁判など取り下げるはずだと、アナの思いを認めようとしません。彼女は常にアナが臓器を「私たちにくれる」という言い方をします。母親の彼女にとって、家族は同体なのでしょう。

かつて弁護士として働いていた彼女はこの裁判で被告側の弁護人となりますが、ブライアンに言わせれば「私の代理を彼女に頼んだことはない」と。しかし、そのことにもサラは気づいていません。

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親は子を愛するあまり、子の将来を見通そうとします。それは子に幸福な人生を送らせてやりたいと願うから。子の未来をできるものなら作り変えたいと願う親の思いは切なくて、「ある人々には物足りない」と形容してしまうのは酷なようにも思えます。

ケイトの「将来」には、いつも間近に死が今にも飛び掛ろうと待ち構えていました。だから母親のサラは、その死を防ぐために全力で闘い続けてきたのです。そして、いつのまにか、ケイトの死に「一丸となって敵対する家族」という構図の中で、夫や息子やもう一人の娘それぞれに目を向ける余裕をなくしてしまう。どんなことをしてでも死なせないことが、もしかしたらケイト自身に目を向けることより優先されてしまうほどに。

Ashleyの両親が将来のレイプを案じるのも、成長抑制といった過激な手段まで考えるのも、同じ心理なのかもしれません。わが子が不利を背負っていると知っているからこそ、子の将来を見通して、せめて打てる手だけは先にみんな打っておいてやりたいと願ってのことだとすれば。

Katieの母親Alisonが、まだ始まってもいない娘の生理に「苦しむのはかわいそうだから」先に子宮を摘出しておいてやりたいと願うのも、今でも痛いこと苦しいことの多い娘に不憫を感じているからこそ、この先に余計な苦しみまで負わせたくないのでしょう。

お金や地位が人間に幸福を保証してくれると信じる人たちが子どもをお受験や習い事に駆り立てるのも、子どもの将来がなるべく幸福であるようにと願ってのことだと考えれば、障害のある子どもの親に限った話でもないようです。

でも、どれだけのことをしてやったとしても「これで十分。これでもうウチの子はゼッタイに死ぬまで幸福に違いない」と確信できる日など、子どもに障害があろうとなかろうと、きっと来ることはないのでしょう。

上記の占い師の言葉は、子の将来に対して「可能な限りの幸福を担保してやるために、自分にできる限りのことをしておいてやりたい」そして、おそらく「それによって自分が安心したい」という親のエゴを鋭く突いていると思います。

「自分以外の人間の未来を作りかえることはできない」という人生の厳然とした事実を、(そしてもちろん体に手を加えたからといって、その子の未来を作り替えることなどできないという事実も)、子に障害があろうとなかろうと、親はどこかで受け入れなければならないのではないでしょうか? 

(私自身、それができるという自信があって書いているわけでは決してないのですが。)