Singerの“アシュリー療法”論評 2

ここでも私が最も気になるのは、
アシュリーの障害像をSingerがどこまで正しく理解してこの文章を書いたかという点。

この論評の冒頭で彼が説明しているアシュリーの状態とは、

アシュリーは9歳。しかし精神年齢は3ヶ月児相当以上には発達していない。歩くことも話すことも、おもちゃを持つことも寝返りを打つこともできない。両親はアシュリーが自分たちのことを認識しているかどうか確信できない。正常な寿命と思われるが、知的障害の改善はありえない。

もしもSingerが両親のブログに書かれているアシュリーの姿をきちんと全部読んだのだとすれば、
「実践の倫理」に見られるような彼の「知的障害」に対する先入観が邪魔をして、
書いてある通りに読み取れなかったか、
または自分の主張にとって都合よい記述だけを意図的に拾ったかのどちらかでしょう。

両親はアシュリーが「自分たちのことを認識していると思うが確信はない」と書いているのであり、
「認識できているかどうか確信できない」とはニュアンスが違います。

また、他にもSingerが論評で触れていないこととして、
アシュリーは「家族の声を聞くと落ち着く」、
「家族の声かけにはよく微笑み、喜びを表す」ともあります。
熱心にテレビを見ているように思われることもあります。
音楽が大好きで、気に入った音楽を聴くと声を出して足をけり、
手で踊るような指揮を取るような動きを見せてはしゃぐといいます。
家族が「アシュリーのBF」と呼んでいるほどお気に入りのオペラ歌手もいます。

(詳細は「アシュリーはどのような子なのか」のエントリーを。)

このようなアシュリーは、本当に犬や猫よりもメンタルレベルが低いでしょうか。

「知能の低さ」だけでアシュリーを犬や猫以下だと主張するために、
Singerはアシュリーの情緒の豊かさについては敢えて論評から除外したのではないでしょうか。

〔注〕このブログでは、

アシュリーの知的発達段階が「生後3ヶ月または6ヶ月」とされていることの根拠のなさと、
彼女の知的レベルをめぐって主治医らの発言がコロコロ変わっていることの不可思議を指摘しています。
また、Anne McDonaldの興味深い指摘もあります。