“最善の利益”はポルノと同じ (Joel E. Frader 4)

Frader医師は前回のエントリーで紹介した小児科学会の延命治療に関する方針の策定に関わった関係で引っ張り出されて、2005年にアメリカ小児科学会の学会誌Pediatrics上のBaby Doe Rulesを巡る論争に加わっています。

その方針と、この論争関連論文のフル・テキストは以下のサイトで読めます。

http://aappolicy.aappublications.org/cgi/content/abstract/pediatrics;98/1/149?fulltext=ethics%2Bthe%2Bcare%2Bof%2Bcritically%2Bill%2Bin&searchid=QID_NOT_SET


私はこの論争が理解できるほどの知識がないのですが、この論文の中でFrader医師は「最善の利益」について面白い指摘をしているので、その部分を紹介します。

I doubt that insisting on the reliance on the “best-interests” standard gets us very far. Best interests, similar to art or pornography, tends to mean whatever the beholder believes to mean. The term has no independent substance, and we should not fool ourselves into thinking that it alone improves decision-making.

要するに「最善の利益」という用語には客観的な内実がない。芸術やポルノと同じで、見る人の勝手でどういう意味にもなり得る。したがって「最善の利益」だけで意思決定が改善されると考えるのは甘い、と。

これを読んで、私は自分が初めて「最善の利益」という言葉と出会った時の衝撃を思い出しました。ずいぶん前にどこかで読み齧ったStrunk v. Strunk という臓器移植がらみの訴訟。重度の知的障害があって施設で暮らしている成人男性がいて、その兄が重い腎臓病をわずらい命が危ぶまれるところまで悪化。そこで母親が弟から兄へ腎臓提供をさせたいと考え、本人には同意能力がないことから裁判に。その結果、裁判所の裁定というのが、兄に腎臓を提供することが弟の「最善の利益」であるというもの。なんとなれば、腎臓をとられない代わりに兄を失うことと、腎臓をとられる代わりに兄が生きていることを秤にかけたら、兄が生きていることの方が本人にとって幸せだから。

……ざっとこんな話で、「最善の利益」の解釈なんて所詮は日本政府が自衛隊の海外派遣を決めた際の憲法解釈と同じかぁ……と、びっくりしたものでした。その時の驚きが忘れられないので、以来「最善の利益」という言葉はとても胡散臭いものに感じられてなりません。

それにしても、2005年に「最善の利益」という概念の不確かさをこのように指摘しているFrader医師が、なぜ“アシュリー療法”論争で取りざたされる「本人の最善の利益」を突っ込まなかったのか??

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”アシュリー療法“論争で医師らが主張している「最善の利益」とは、

多少のリスクの可能性のあるホルモン療法をされる代わりに、家族に世話してもらえること」と

多少のリスクの可能性のあるホルモン療法をされない代わりに、冷たい(そして恐らくレイプが起こる?)施設に入れられること」と

を秤にかけたら、前者が本人の「最善の利益」。
 
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一定のリスクのある外科手術で子宮を摘出される代わりに、生理に苦しまずガンにもならず万が一レイプ被害にあっても(あわない確率のほうが高そうだけど)妊娠しないこと」と

一定のリスクのある外科手術で子宮を摘出されない代わりに、生理に苦しみ(苦しまない可能性もあるが)ガンになるかも知れず(ならないかもしれないが)レイプされたら(されない確率の方が高そうだが)妊娠すること」と

を秤にかけたら前者が本人の「最善の利益」。

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乳房芽を切除される代わりに、車椅子のストラップに圧迫されることがなくて病気の心配が少なく、セクハラもされにくいだろうと(関係ないかもしれないけど)期待できること」と

乳房芽切除の手術を受けない代わりに、大きな乳房が重たくて邪魔くさくて(それほど不快ではないかもしれないが)乳がんやその他の病気になるかも知れず(ならないかもしれないが)、セクハラを招くかもしれない(招かないかもしれないが)こと」と

を秤にかけたら前者が本人の「最善の利益」。

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「最善の利益」とは、芸術やポルノどころか、魔術師のイルージョン??? 


【追記】
Strunk裁判については、こちらに。