ノーマライゼーションに、実は逆行していない?

とても単純に、ずっと頭に引っかかっていること。

アシュリーの両親と担当医が言っていることは、ノーマライゼーションの考え方に逆行しているのでは……?

「施設には絶対に入所させない、家庭で世話をする」と言えば、一見「地域で普通に暮らす」というノーマライゼーションの理念に沿っているように思えますが、Diekema医師は「アシュリーに必要なのは家族という小さな世界」、「アシュリーには、どんな人とも意味のある関りはもてない」と何度も言っています。

彼らの言っていることは、アシュリーには家族という限られた人間関係の中に留めおかれるのが幸福、家族以外との関りは不要ということです。「いくつになっても、ずっと親とのみ密着して暮らす」ということは、ノーマライゼーションでも何でもありません。

家族さえいればいい、家庭の中だけに閉じ込めて外の世界との接触がないのが幸せというのでは、それは施設にいること以上にアブノーマルな生活ではないでしょうか。

アシュリーの抱えている問題のひとつが「退屈」だというのであれば、「アシュリーのいるべき場所は両親の温かい腕の中」などと言って家庭という小さな世界に閉じ込めておくのではなく、他人との関りというダイナミックな世界の中に出してあげるのが何よりの対策だろうと私は思うのですが。