大谷いづみ『「理性的自殺」がとりこぼすもの』を読んだ

『現代思想』5月号の特集「自殺論 対策の立場から」の一編、
大谷いづみ『「理性的自殺」がとりこぼすもの
続・「死を掛け金に求められる承認」という隘路』

1970年代からの安楽死を巡る大きな事件での
一見すれば「理性的自殺 rational suicide」を求めていると見える人物たちの語りが
その実、聴く者に自分の声が届かないことからくるアイデンティティの揺らぎの中で、
「死を要請することで聞く耳を得られた体験」である可能性に着目しつつ、

理性的に首尾一貫できるためには
人は自分や他者の何かを切り捨てるしかないのでは、と問う。

エリザベス・ボービア、ラリー・マカフィ―、ケン・ハリソンのケースに
注目して書かれているのだけれど、

最初の実在の2人については
ウ―レットが事例研究で取り上げているので当ブログでも紹介しており、
大谷氏の解説からは、ウ―レットの解説では見えなかった事件の側面が見えてきて、
とても興味深い。

例えば、
Bouvia事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63783421.html

ウ―レットはこの事件を
ターミナルでなくとも生命維持を拒否することができた自己決定権の画期的な勝利であり、
またそこに一定のスタンダードを敷いた事件としても
生命倫理の界隈で称揚された事件だと位置づけて紹介している。

ところが大谷氏の論考によると、
エリザベスはその後翻意し、2008年時点で生存が確認されているという。

彼女が死を要請するに至った過程とは、大谷氏によれば

 重度の脳性麻痺でほぼ全身が麻痺しているエリザベス・ボービアはわずかに動く右手で電動式の車いすを操作し、たばこを吸うこともできた。食物の咀嚼も可能で話もできた(が、重度の脳性麻痺患者との意思疎通は双方に相応の訓練と慣れと忍耐力を必要とする)。彼女の人生の苦痛を倍加したものは、彼女の障害と深い関わりを持ってはいるが、しかし障害そのものではない、彼女をとりまくさまざまな条件である。両親が離婚し5歳から5年間は母親に養育されたが、その後は養護施設で育った。18歳になった彼女に、父親は彼女の障害ゆえに世話はできないと告げた。彼女は障害者向けの州の支援制度を受けて住み込みの看護婦と共に自立生活を始め、中退していた高校課程の勉学を再開し、大学を経て社会福祉系大学院に進んだが、実地研修をめぐるトラブルで退学した。文通相手の元受刑者リチャード・ボービアと結婚、妊娠するも流産。結婚したことで障害者への給付金は減額され、リチャードがやっとのことで得たパートタイムの収入では生活はたちゆかなくなる。極まって援助を頼み込んだエリザベスの父から拒絶され、疲れ果てたリチャードがエリザベスの元を立ち去ったその数日後、エリザベスは餓死による自殺を訴え出たのである。
(p. 167)


次にMcAfee事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64925979.html

こちらはウ―レットも、
本人が置かれていた状況の詳細を知らずに生命倫理学者らが
「自己決定権」の問題として論じていることについて
障害者サイドからの批判に沿って事件を紹介している。
例えばLongmoreの以下のような主張を引用。

こんな自由はフィクションに過ぎない。偽物の自己決定。
選択というレトリックが強制の現実を隠ぺいしている。


大谷氏によれば、ラリーもまた
裁判で認められた人口呼吸器の停止によって自殺することはなく、
1993年、採尿カテーテルがねじれていたために尿が逆流し高血圧症となって
何ヶ月もの昏睡状態を経て1995年に死亡。

ケン・ハリソンとは
1981年のアメリカ映画『この生命誰のもの』の主人公の彫刻家。
交通事故のために四肢マヒと腎臓障害となり、
理性的・合理的な判断として「尊厳のある死」を自ら選ぶべく、
「死ぬ権利」を求めて提訴する。

こうした映画が安楽死運動史上、大きな影響力を持ったこと、
ボービアやマカフィーにも影響を与えたことを指摘しつつ、

大谷氏はさらに、ケンの語りが当初、
「死への要請」を認めようとはしない医療スタッフによって黙殺されたことに注目する。
そこには聴く側のアイデンティティの問題が関わっていて、
自分のアイデンティティを中断しないためには聴く側は
自分が聴こうとするものだけを聞くからだ。

そこでケンの物語は
聴き手が聞きたいことしか聞こうとしないのならば
死にたいと語り続けた人の物語と見ることもできる。

エリザベス・ボービアもまた、
「死の要請で名を知られてはじめて、その物語が多くの聴き手を得、
マスコミをにぎわせ、彼女のための基金も作られて安定した生活が保障されたのである」(p.169)

この下り、私の頭には
英国で08年に自殺幇助に関する法の明確化を求めて提訴し、
その攻撃的な能弁で一躍メディアの寵児となったDebbie Purdyさんの姿が浮かんだ。



さらに大谷氏が引いているのは
1993年に「終末期を心安らかに暮らすために」幇助自殺を望みながら、
それがプログラム化された自殺幇助の手順に乗せられてしまうことに
揺らぎ、迷いながらも、幇助を受けて死んだルイーズのケース。

ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で紹介された際、
記者は死の要請を聴く側の心理について考察しつつ、
マクベスの有名な一節を引いている。

「やってしまってそれで事が済むのなら、
早くやってしまった方がいい」

ここでは私には、Fins医師が最小意識状態の人の治療停止について言っていた
「早いところさっぱり決着をつけてしまおうと、
分からないことが沢山あるのに無視してしまっている」という発言が
頭に浮かぶ。

それでも、いったん行為が行われれば、

……残された遺族には、「これでよかったのだ」と自分自身を納得させることよりみちはない。その影で「あれで本当によかったのだろうか?」という問いは封じ込められてしまうかもしれない。自らの行為を他者にも理解してもらうために、何より、死を選んだ本人の選択を承認してもらうために。それだけではなく、本人と自分の死への選択を承認されるための問題提起を「世間」にむけて開始するかもしれない――。
(p. 173)


1993年に、生きているのが可哀想だからと言って
脳性まひの13歳の娘を殺し、08年に仮釈放になるや
慈悲殺正当化論の広告塔となって公の発言を続けるロバート・ラティマーのように――。

慢性疲労症候群で寝たきりの娘の血管に砕いたモルヒネと空気を注入して死なせて
愛からの行為だとして無罪判決を受けた後でメディアに連日登場しては
自らの献身と愛と苦悩を語り続けた、あのケイ・ギルダーデールのように――。


しかし、人はそんなふうに、「その時」までも、また「その時」になっても
揺らがず迷わずに「理性的」「合理的」に生きられるものなのか、というのが
大谷氏の論考を貫いている問いなのだと思う。

エリザベス・ボービアやラリー・マカフィー
裁判所に認められた死の自己決定権を行使して死ぬことを選ばなかったように、
そもそも彼らの死の要請の背景が、実際は
尊厳死議論で描かれる「理性的自殺」の物語とは異なっているように、

(太田典礼もまた、脳梗塞車いす生活となっても
自殺せず、リビング・ウィルに署名することもなく、手厚い介護を受け、
そうめんをのどに詰まらせて亡くなった、というエピソードが
論考の最後に紹介されている)

「首尾一貫しようとして、人は自分の、他者の、何を切り捨てようとするのか」
と問う大谷氏は、

首尾一貫せず、「ブレることにこそ希望の証を見」ようとしている。

そのためにも
社会にとってあまりにも都合のよい「理性的自殺」のフィクションには警戒し、

「その都合のよさに立脚した死の要請には、慎重でありすぎることはない」と。