美しい文章 6: 藤沢周平「甘味辛味」

spitzibaraが愛してやまない藤沢周平さんは既に亡く、
ゆえに作品がこれ以上増えないことが恨めしいのだけれど、

周平さんが作家になる前に編集長として
「日本加工食品新聞」に書いたコラム「甘味辛味」から
70篇を収録した文庫を見つけたので、早速にゲット。

甘味辛味 業界紙時代の藤沢周平(文春文庫)


いやー。やっぱり周平さんは、
作家になる前から周平さんだった。

以下の昭和45年3月23日のコラムなんか、
私が大好きな『臍曲がり新左』で洗練の極致を迎える、
あのユーモアのセンスは作家になる前に既にここまで……と感激。

 いみじくも戦中戦後を思い出したのが、先日総武線亀戸駅前でメシを喰ったときの話。
 恰幅すぐれ、容貌いかつい立派な旦那が、客の注文をとり、おしぼりと水を配り、注文の品を配り、帰りの客のオアイソを清算する。客がたて込んでくると次のような具合になる。
「お水ちょうだい」「ちょっと待ってくれ。いま忙しいんだから」。「あのう、チャーハンまだですか」「わかっているよ。仕様がねえな。あんただけ待っているんじゃねえんだから」。これ、客と店主(風サイから推して多分)との会話である。
「全く仕様がねえな。こういそがしくっちゃ」旦那は二十貫近くはありそうな巨体をあおり、風をまいてテーブルの間を走り抜け走り去る。なんとなく、喰べさせてもらってスミマセンという姿勢で、客一同首うなだれて、じっと手を見る。甘辛子もちろんそのひとり。
 戦中、戦後のことなど、そこはかとなく思い出し、懐旧の情にひたりながら、さて、三十分はたったはずだがとそっと時計を眺め、咳ばらいなどひとつして、ひたすらに注文のチャーシューメンの無事到来を待つ。
(以下略)
(p.90-91)


巨体をあおり、風をまいてテーブルの間を走り抜け走り去る――。

客一同首うなだれて、じっと手を見る――。

甘辛子もちろんそのひとり――。
(甘辛子も、でないところも、全部ひらがなで句点なしの一息というのも絶妙)

そっと時計を眺め、咳ばらいなどひとつして――。


いいなぁ。いいなぁ。
ほんっとーに、いいなぁ。

声に出して読みたい日本語の見本みたいな。


それから、このコラム、
公害や農業改革など、時代を見据える目が実に確か――。

また、周平さんは高校野球の大ファンで、
プロ野球もよく見たけど、アンチ巨人だった、という注があって、
「だよね~。らしいよね~」と、これがまた嬉しい。


そういえば今宵、我が家の夕餉のお菜は、
小鯛の塩焼きにござりましたぞ。

子茄子の漬物はあいにく欠かしておりましたがの。