今週のミュウ 12

連絡ノートより。

この場面に登場するBさんは、
くつした泥棒のエントリーに登場したBさんです。


先日、デイルームでの出来事です。

ゆったりした時間が取れ、看護部、育成課スタッフも
入所者さんとかかわりの時間を過ごしていました。

ミュウさんはTVにくぎづけだった……のですが……

座位でTVを見たりボールを握ったりしていたBさんに、
スタッフが手を叩いて「こっちに投げて―」とアピールしていました。
始めは2人だったのが、少しずつ手を叩くスタッフが増えていくと、

オヤッ? 

楽しそうな、この空気を感じたミュウさん。

TVの方からくるりっと向きを変え、
「私も―――。私も―――」と誰よりもアピール。

手をあげ、声を出し、反り返って、
そのアピールぶりにはスタッフ一同、大爆笑。

なのに、なのに……。

アピールを受けているBさんはスタッフにもミュウさんにも興味なく、
持っているボールが気になるのです。

そんな笑いに包まれた時間です。


これもまた、「くつした泥棒」と同じく、

誰ひとりとして自ら望んでそこで暮らしているわけではない施設の、
なんてことない日常の暮らしの一場面――。


          ―――――――――

ノートには書かれていないのですが、
しばらく前に、複数のスタッフから
「ミュウさんがものすごく怒った」という話を聞きました。

昼食時には音楽がかかるのですが、
その日は午前中にミュウと誰かスタッフのやり取りで
何かのCDをかけてもらう約束ができていたらしいのです。

ところが、それを知らない別のスタッフが他の音楽をかけてしまった。
そこでミュウは猛烈な勢いで怒り、憤然と抗議したのだそうです。

(何度目かのお断りをしておくと、うちのミュウは重い障害のため言葉を持ちません。
それでも「憤然と抗議」するウチの娘も、また、その彼女の行動を
ちゃんと「猛烈に怒っている」「憤然と抗議している」と受け止めてくださるスタッフも、
共に実に大したものだ、と私は常々……。あ、もちろん父と母は
もうしょっちゅう「憤然と抗議」されておりますです。はい)

その時の怒り方というのが、、
別々の場面で複数のスタッフから
それぞれ異口同音に聞くところでは「すごかった」んだ、と――。

まぁ、「この母にして……」という解釈もあるかと
Spitzibaraとしては拝察もするわけですが、しかし、それはそれとして、

母は、この話が、とにかく、もう無性に嬉しかった。

喜びとか感激といった、プラスの感情は割と表現しやすいと思うのだけど、
マイナスとされる感情の中でも、とりわけ怒りは、
それを表現しても許されると感じられる相手に対してでなければ
なかなか表現できにくいものだと思うのです。

この人には甘えても許してもらえると感じる相手でなければ
人は甘えることができないのと同じように。

だから「猛烈に怒った」というのを聞いて、

あぁ、ミュウは怒りを表現できるだけ、
ここに安んじてありのままでいられる自分の居場所を
ちゃんと持てているんだ、って思って、

それはもう、本当に、心の底からありがたく、嬉しかった。

それは、やっぱり「くつした泥棒」や今日のこのエピソードのように、
「笑いに包まれた時間」を共有しながら、共に暮らしてくださるスタッフの
温かいまなざしのおかげなのだと、つくづく……。

どうか、こんなふうに「笑いに包まれた時間」を
支援される人と支援する人がゆったり共有できるだけの余裕が、
日本中の福祉の現場にいつまでもあり続けますように――。