「療育園と家族が本当の信頼関係を築くために」 3

前のエントリーからの続きです)

別のものが「本人のため」と言い換えられることの何が一番恐ろしいかというと、「本人のため」と言われてしまった時点で、それが「良いこと」になってしまうということです。何事であれメリットだけではなくデメリットだってあるわけですけど、良いことだとされるとデメリットに目が向きにくくなってしまいます。もしかしたら起こってくるかもしれないデメリットについて丁寧に考えて、その一つ一つに対策を立てておこうとする姿勢が持ちにくくなくなってしまうんですね。

それからもう一つ、一つのことが「本人のため」と正当化されてしまうと、最初はそこにあったはずの罪悪感とか抵抗感が薄れていって、他のことにまでどんどん拡大してしまう、ということもあります。こういうのは「すべり坂」と呼ばれていて、一歩足を踏み出してしまったが最後、あっという間にすべり坂を下まで転がり落ちてしまう。そんな危うい問題が今いろいろと出てきていて、議論も沢山行われています。

世界で障害者の周辺で起こっていることについては、私もあちこちに詳しく書いていますから、よかったら読んでみてください。お手元の資料に、いくつか参考を挙げてみました。特に職員の方に、ぜひ読んでいただきたいのは『アシュリー事件』の中の、生命倫理の言葉で言えば「本人の利益」をめぐる議論です。医療において何が「本人のため」かを見極めるために、誰がどういう方法と手順と基準でどのように考えて決めるべきか、世界中の生命倫理学者がもう何十年もかけて議論を続けています。何が「本人のため」かを見極めるのは、本当はそれほど難しいことなんです。この点については特に職員の方向けの資料を別途お配りしておりますが、医療職が専門性の名のもとに勝手に決めてよいというものではないですし、逆にアシュリー事件のように、親や家族だから本人のことを一番分かっていると言って勝手に決めてしまうことも、本当に本人のためかどうか、問題によっては単純ではありません。

だからこそ、いろんな立場の人が集まって、率直な説明があり、きちんと事実が共有されたうえで、皆で簡単に答えが出ない悩ましさを引き受け、考えなければならないのだと思います。これは、私たち保護者や家族にとっても、自分が死んだ後に、これからやってくる厳しい時代の中で、子どもたちの生活や医療について誰がどういう基準で決めるのか、という、とても大きな問題にもつながっていきます。こういう問題も、これからみんなで考えていかないといけないんじゃないでしょうか。

こんな恐ろしい時代だからこそ、私たちは重い障害のためにもの言えぬ家族のために、彼らの声となり、良き代弁者でありたいと思うんですね。去年の20周年の記念式典の時に、A事務局長が、時代とともに変わらなければならないものがあるが、変えてはいけないものもある、という話をされましたけど、それが伝統というものだと私は思うんです。人は異動で変わります。人が変われば多くのことが変わるのは避けられません。時代ももちろん変わります。それでも、その中でも守っていかなければならないものはなにか、少なくとも守ろうとしなければならないもの、守ろうとしたいものはなにか、ということを園と保護者や家族が一緒に考えていければ、それがこれまでに多くの人が苦しい思いをしながら築いてきた療育園の伝統を繋ぐことでもあり、これから先に向けて、園と保護者や家族との信頼関係を作っていくプロセスそのものなんじゃないでしょうか。

保護者の中には、お世話になっているのだから園には何も言えないとか言ってはならないと考えておられる方があるかもしれません。私は、言えば分かってもらえると信頼するからこそ声をあげられる、と考えてきました。実際、そうして保護者が挙げた声で変わってきたことは、今お話ししたように沢山あります。もしも保護者が、声を上げれば変えられることがあるかもしれない、と信じていられるとしたら、それ以上の信頼はないんじゃないでしょうか。私は、信頼しているからこそ声はあげられる、と考えたいと思います。

私が今日お話ししているのは、私たちが園に来ることができなくなった後、死んだ後にも、どの人も大切にされて笑顔で暮らせる療育園の文化と伝統を、子どもたちのために作っておいてやりたい、ということです。そのためにも、知るべきことをきちんと知り、目の前に起こっている出来事の表面だけでなく物事の本質をきちんと見抜いて、しっかり考え、本当の意味での信頼関係を園との間で築いていける保護者会でありたい、と思います。

これは本来なら、一昨年の11月に入浴時の手袋着用が問題となった時に、きちんと保護者の皆さんにご説明すべきことでした。それができなかったことを、私はずっと悔いにしてきました。あの時も問題は、手袋を着用するかどうかというような表面的なことではありませんでした。一昨年の秋に私たち夫婦が園長宛に書いた手紙を、いまさらですが資料としてお配りしておりますので、また後で読んでいただければと思います。園長を始め、師長、課長には、あの時に保護者が訴えたことをその後きちんと受け止めていただき、感謝しております。この手紙でお願いした中の、園長をはじめドクターにもっと園にきていただきたい、いていただきたい、インフォームド・コンセントの意識をしっかりもっていただきたいという点については、ここで重ねてお願いしておきたいと思います。

今日のこの場は、こうした経緯を踏まえ、役員の方々と相談させていただいて、園と保護者との信頼関係の新たなスタートとなればと、設けさせていただきました。

今日はどうもありがとうございました。


保護者の一人でありながら、
このような場でこうしたお話をさせていただいたのは、
もちろん敢えてやらなければならない事情があると判断したためですが、

保護者にも職員の方々にも、果たして受け止めてもらえるのかどうか、
ずいぶん前から準備しつつ、正直これもまた、とても恐ろしい体験ではありました。

でも、なんとか多くの保護者に受け止めてもらえたように思います。


この後、午後からは「節分の会」。

みんなそれぞれの「退治したいオニ」が紹介された後で、
(ミュウのは「ときどき甘えたくなるオニ」でした)

例年のごとくに
スタッフが扮するオニが登場し、
みんなで豆に見立てた新聞紙のボールで退治するのですが、

今年は、むちゃくちゃ迫力満点の恐ろしげなオニが混じっていると思いきや、
利用者のお兄さんが全身黒づくめの上に、地元で借りてきてくださった神楽のお面や衣装をつけ、
わざわざ山に取りに行かれたという太い竹を手に、オニを演じてくださっているのでした。

優しげな手作りのお面のスタッフ・オニは完全に存在がかすんでしまいましたが、
家族がスタッフと一緒にオニに扮して行事を盛り上げてくださる場面は、なんとも良いものでした。

見るからに恐ろしい所作で、それぞれの前に顔を近づけて脅したり、
「豆」を投げつけられては、ぶっ倒れたりしながら、ミュウの側を歩いていかれる時に
ぼそっと「前が見えん……」とつぶやかれたのが、おかしかった。

おかげさまで、今日は本当にいい一日になりました。
みなさん、ありがとうございました。