ミュウの”Nothing About Me Without Me”

本来なら、ミュウは昨日の朝から帰ってくる予定だったのだけれど、
おとといの晩に熱を出し、そればかりか喘息気味だとの診断で、
当面は外泊は見合わせ、とドクター・ストップがかかってしまった。

年末年始は、家でゆっくり過ごせる滅多にない機会なのに、
あららぁ。がっくり……。冷凍庫にはミュウ用の介護食おせちも待っているのに……。

まぁ、仕方ないねー。お父さんとお母さんが毎日くるから。
おせちも持ってくるから、あんた、ここで食べる? ……なんてことを言いつつも、
DVDを独占しては「おかあさんといっしょ」に歓声を上げているミュウは
さほどに「やられている」観はないだけに、「お正月」がすっ飛ぶのは無念……。

看護師さんたちも、なんとか数日中には帰れるようになったらいいね、と
心を砕いて細かくケアしてくださるが、やっぱ腹くくるしかないかぁぁ。

そこで今朝も、コンビニに寄って親の分の弁当を買い、園へ。

廊下を詰め所に向かっていると、
途中にある職員休憩室から出てきた夜勤明けの看護師さんに、呼び止められた。

ニコニコしながら弾んだ口調で、
「さっき先生が診られたんですけど、いいニュースがありそうですよ~」

それから夜の間のミュウの様子を詳しく教えてくださって、
「先生から直接お話あると思いますけど、本当に良かったですね~」

まさか今日つれて帰れるなんて思ってなかったのと
看護師さんがこんなに一緒に喜んでくれて、わざわざ声をかけてくれた気持ちが嬉しくて、
むっちゃハッピーになり、思わず、その看護師さんに抱きついてしまった。

そして、連絡を受けてやってきたドクターは部屋に入ってくるなり、
「ミュウさん、どうする、帰ろうか? やっぱり家が一番いいよね?」

父にでもなく母にでもなく、ベッドを覗き込み、ミュウ自身に声をかけてくれた。

ミュウは「ハー!」と大きな口をあけて答え、
先生は「この顔なら大丈夫みたいだし」とつぶやく。

――母は、ちょっとしびれた。

実は私は、園長でも娘の主治医でもない、このドクターAとは、あまり話をしたことがないのだけれど、
数ヶ月前、今回とまったく同じシチュエーションで、ちょっと印象的な場面があった。

たまたまその日の当直だったA先生と、家に帰っても大丈夫かどうかを相談していると、
ミュウが突然ものすごく不機嫌になった。

その頃、ミュウはことあるごとに、
「あたしはここで自分でちゃんとやっているんだから、
親は余計な口を出さないで」とでも言いたげなそぶりを見せていて、

気付いてみたら、本当はかなり前から
ミュウなりに、そういう意思表示をしていたのだけれど、
鈍い親がミュウの気持ちとメッセージに気付いてやれるのには1年近くかかった。

なかなか分かってもらえず、
幼児の頃と同じように親が何もかも職員さんと相談して決めてしまうたびに
とっくに大人になったミュウにとっては、どんどん憤懣がたまっていったのだろうと思う。

そういう場面で猛烈に不機嫌になってゴネる……ということが増えていた。

ただミュウは言葉を持たないから、何を言いたくてゴネているのか、
私にはなかなか分からなかった。

初めて気付いてガ――ンと来た時のことは、
来春刊行される『支援』という雑誌のVol.3に書かせてもらった。

少しずつ気付き始めてからのことは、
こちらの気付きというエントリーに書いた。

数ヶ月前に、A先生と「家に帰ってもいいか」どうかの相談中に
ミュウが不機嫌になった時には、もうかなり分かっていたので、
「あ、ミュウは自分で先生と直接話したいんだね。これはミュウのことだからね」と、すぐに気付いた。

すると、私の言葉を聞いたA先生は、ごく自然にミュウの車椅子の前に身をかがめて、
「じゃぁ、ミュウさん、先生は大丈夫じゃないかと思うけど、家に帰りますか?」と聞いてくれた。

「私のことは私に言わせろ」とゴネまくっていたくせに、
いざ話を自分に振られるとミュウは俄かに緊張し、ただワナワナして、
まるで「帰りたくないみたいじゃない!」と皆を笑わせてくれたけれど、

こうしてこの子も、こういう場面に慣れていけばいいのだろうな、と私は思ったし、

A先生が自然に応じてくれたことからも、
私が受け止めることで周囲の専門職にも気付きは広がっていくのかも、とも感じさせてもらった。

その後、私はミュウの前で担当職員の方にミュウの最近の思いを話し、
「ミュウが決めて終われることは、ミュウに直接聞いてやってください」とお願いした。

また主治医の説明も一緒に聞いて、何かを決める時にはミュウに了解を取ることにした。

そうして、ミュウは最近ゴネなくなった。

まだ母が自分に都合よく解釈しているのかもしれないけれど、
親が自分のメッセージを受け止めてくれたこと、それをスタッフに繋いだことで、
ミュウが抱えていた「存在を勝手に消されるような、やりきれない思い」が一段落して、
この子なりにとりあえず親を許せたんじゃないか、と私は想像している。

でも、数ヶ月前のあの日にA先生があれほど自然に応じてくれていなかったら、
ミュウなりの思いをスタッフに繋ぐことまで私が考えたかどうか、分からない。
もしかしたら、親が受け止めてやって、そこで終わっていたかもしれない。

だから私はあの日から、
A先生が園にいてくれることを心からありがたいと思っているのだけれど、

同時に、

これほど重い障害があり言葉を持たないミュウが彼女なりに上げたのは
Nothing About Me Without Me(私抜きに私のことを決めないで)という声だったこと、
それは親への堂々たるチャレンジだったのだ……ということを思うと、

その声には、
私たち親はもちろん、ミュウの周りの専門職にも届き、変える力があったということ、
これからも彼女にはそれだけの力があるのだということを、私は信じたいと思う。

そして、そのことを、こうして語っていきたいと思う。

「どうせ何も分からない重症(児)者」と、彼らの現実など知らずに決めつける人たちに向かって
「それは違う」と言い続けるためにも――。


今朝、先生のおかげで家に帰れることになったミュウは
車いすに乗せられて「じゃぁ、先生にありがとう言って帰ろう」と促されると、
ちょっとテレながら、そっと先生を見あげて口を開けた。

A先生はそれに「はい。よかったね。気をつけて」と応えた後で、
「先生も今日で仕事終わりなんだよ」と、ちょぴり嬉しそうに付けくわえていた。


1日遅れになったけれど、
とても素敵な冬休みの始まりとなりました。

明日は例年通り親子3人揃って迎える大みそかです。
皆さんにも平穏な年の瀬が訪れていますように。