ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 2
5.1: 委員会によるコントロールの不全
・にも拘らず、10年間、委員会は法は守られているとし続けて、
一件として検察に通報する必要を感じていない。
一件として検察に通報する必要を感じていない。
5.2: 法の文言の拡大解釈
・02年から、条件が様々な拡大解釈され変わってきている。
・委員会は06年に「医療職への手引き」を出し、法の条件に新たな解釈を提示した。
それにより、実質、以下のような拡大解釈がされている。
それにより、実質、以下のような拡大解釈がされている。
a) 患者が書面で意思表示をしていること、との条件について
委員会は状況次第で文書がなくても認められるとの解釈を示し、
現場の医師も、事前指示があり死が差し迫っていれば文書は形式にすぎないと考えている。
委員会は状況次第で文書がなくても認められるとの解釈を示し、
現場の医師も、事前指示があり死が差し迫っていれば文書は形式にすぎないと考えている。
b) 命を脅かし不治の病 との条件について
委員会は、命にかかわる病気でなくとも、複数の疾患があることを
いつのまにか対象者要件に含めてしまっている。
委員会は、命にかかわる病気でなくとも、複数の疾患があることを
いつのまにか対象者要件に含めてしまっている。
c) 取り除くことも軽減することもできない耐え難い苦痛 という条件について
委員会は「耐え難さ」とは主観的なものであるとの解釈を提示し、
軽減可能性についても、患者に痛みに対する措置の拒否を認めることによって
この条件の遵守の確認という任務を放棄している。
委員会は「耐え難さ」とは主観的なものであるとの解釈を提示し、
軽減可能性についても、患者に痛みに対する措置の拒否を認めることによって
この条件の遵守の確認という任務を放棄している。
d) 心理的な苦痛
委員会は「法の文言の下では、
将来的な劇的な展開(意識不明、自立の喪失や進行した認知症)は
耐え難く軽減不能な心理的苦痛に当たる」との解釈を提示して、
本来の法文の精神に反する条件の拡大を行っている。
委員会は「法の文言の下では、
将来的な劇的な展開(意識不明、自立の喪失や進行した認知症)は
耐え難く軽減不能な心理的苦痛に当たる」との解釈を提示して、
本来の法文の精神に反する条件の拡大を行っている。
e) 自殺幇助
安楽死法は一定条件下で医師の安楽死の「行為」を合法とするものであり、
議会も医師による自殺幇助は含まないとの見解に立っているにもかかわらず、
委員会は自殺幇助が含まれていることを認めつつ放置している。
安楽死法は一定条件下で医師の安楽死の「行為」を合法とするものであり、
議会も医師による自殺幇助は含まないとの見解に立っているにもかかわらず、
委員会は自殺幇助が含まれていることを認めつつ放置している。
5.3: 委員会メンバー
5.4: 薬剤師
・医師は自分で薬局へ行き薬剤師から直接薬物を受け取り、
使用後の残余は自分で返却しなければならないが、
実際には薬物が家族に渡されていたり、
客に安楽死希望だと言われて薬局のアシスタントが渡していることも。
残余の返却にはコントロールがされていない。
使用後の残余は自分で返却しなければならないが、
実際には薬物が家族に渡されていたり、
客に安楽死希望だと言われて薬局のアシスタントが渡していることも。
残余の返却にはコントロールがされていない。
6.コントロール不全の影響
6.1: 安楽死の瑣末化
厳格な法の条件を厳密に守る姿勢が失われているにもかかわらず、
委員会も政府も黙認していることから、
安楽死は患者の「権利」とみなされてきており、
現状に懸念を抱く現場医師の間でも免責意識が広がっている。
厳格な法の条件を厳密に守る姿勢が失われているにもかかわらず、
委員会も政府も黙認していることから、
安楽死は患者の「権利」とみなされてきており、
現状に懸念を抱く現場医師の間でも免責意識が広がっている。
(spitzibaraメモ: 米国オレゴン州のように、ある種の配給医療制度を敷くところでは
希望する治療を受けられない患者にPASが認められるという状況そのものが、必然的に、
患者にとってはPASが緩和ケアの一環として提示されるに等しいのでは…?)
希望する治療を受けられない患者にPASが認められるという状況そのものが、必然的に、
患者にとってはPASが緩和ケアの一環として提示されるに等しいのでは…?)
6.4: 臓器提供と繋がることの倫理問題
安楽死の要望書に臓器提供承諾書がついてくるということが行われているが
自分の存在を価値なきものと感じている患者にとって、
あなたの臓器が他者の役に立つと言われることは
法文の精神である強要なき自発性の条件に反し、一種の功利主義ではないか。
自分の存在を価値なきものと感じている患者にとって、
あなたの臓器が他者の役に立つと言われることは
法文の精神である強要なき自発性の条件に反し、一種の功利主義ではないか。
6.5: 重症者で重大な違反のリスク
(spitzibaraメモ:私がテキサスの無益な治療法など、
無益性判断そのものを医療チームサイドに一方的に認める「無益な治療」論に危惧しているのも、この点。
この報告書の6.5で指摘されている重大な違反懸念とは、無益性概念の暴走の懸念だと思う)
無益性判断そのものを医療チームサイドに一方的に認める「無益な治療」論に危惧しているのも、この点。
この報告書の6.5で指摘されている重大な違反懸念とは、無益性概念の暴走の懸念だと思う)
また
Far from strengthening the patient’s rights since they are not in a position to give consent, recourse to a state of necessity gives the medical profession enhanced powers of decision over life and death issues concerning the most vulnerable patients. Besides dialogue with close family members, how is one to assess the degree of “necessity” invoked and to ensure that the patient’s interests always come first? Do not such practice not bear witness to a form of abdication on the part of the medical sector when faced with certain pathologies?
必要性の状態を論拠とすることは、コンセントを与えることができない患者の権利を強化することにはならず、むしろ最も弱い立場の患者の生死をめぐる医療専門職の決定権を強化することになる。近親家族と対話することなしに、どうして問題とされる「必要」の程度を図ったり、患者の利益が常に最初に来ることを保障できるだろうか。こんなことが行われると、その先に起こるのは、医療現場での一定の疾患患者での一種の医療放棄ではないだろうか。
必要性の状態を論拠とすることは、コンセントを与えることができない患者の権利を強化することにはならず、むしろ最も弱い立場の患者の生死をめぐる医療専門職の決定権を強化することになる。近親家族と対話することなしに、どうして問題とされる「必要」の程度を図ったり、患者の利益が常に最初に来ることを保障できるだろうか。こんなことが行われると、その先に起こるのは、医療現場での一定の疾患患者での一種の医療放棄ではないだろうか。
なお、この報告書についての当ブログの訳はすべて、
趣旨を紹介する目的でざっと訳してみたものにすぎないので、ご了解ください。
趣旨を紹介する目的でざっと訳してみたものにすぎないので、ご了解ください。