ホームレスになった統合失調症患者の父親・元議員が振り返る、精神医療「改革」の失敗

コネチカット州の下院議員と市長として、
25歳の時から精神保健医療の「改革」に力を注いできたPaul Gionfriddoさんが、

統合失調症を発症した息子が
医療からも教育からも司法からも適切な支援を受けられずに
ホームレスに転落していくまでをWashingon Postで語り、

自分たちがやってきた「改革」がなぜ失敗したのかを分析している。



著者は、奥さん(後に離婚)とともに4人の人種の違う子どもを養子にして育ててきた人。

そのうちの一人のTimが10歳の頃にADHDを診断され、
さらに後に17歳でやっと正しく統合失調症と診断されるまでには、
異人種間養子縁組という環境や親の育て方や過保護のせいにされたり、
個別指導を保障するはずのIDEAの個別支援計画に障害対応が盛り込まれなかったり、
保険会社にコントロールされる医療に振り回されるなど、

制度やシステムの狭間で翻弄される本人は
問題行動を起こしては刑務所に入ることを繰り返す。

収監されると規則的な生活から症状が改善するものの
出所すれば支援つきの住居からの支援も十分でなく、
いつしかホームレスに転落して行った。

2008年に23歳のTimはサンフランシスコで
所持品はマットレス1枚のホームレスとなり、
父親にとって悲しいことに、その生活に満足していたという。

著者は1980年代に議員として自ら精神病院解体の「改革」を進めた人だ。

当時、人々は病院から地域に返され、
病院の建物も治療プログラムも顧みられず荒廃した。

成人を対象とした地域メンタル・ヘルスと薬物乱用プログラムに予算をつけて、
施設併設の特別学校区から子どもたちを地元の学校に返し、そのための
移行コーディネーターを用意したが、

しかし、それらが失敗とした理由として、著者は以下の3点を挙げている。

① 学校には重症の精神障害のある子どもたちをケアする力がなかったのに、
それが分かっていなかった。

② 地域のメンタル・ヘルス・サービスに新たな役割を課すための予算も十分ではなかった。
その結果、その間隙を埋める役割を担ったのは郡の監獄だった。

③ 重症の精神障害者の地域生活を可能にするためには、
教育者、プライマリー・ケア医、メンタル・ヘルスの専門家、福祉職、さらに
司法制度までを含んだ協働体制の構築が必要だった。


現在、米国の3大「メンタル・ヘルス施設」は
NYとイリノイ州クック郡とカリフォルニア州LA郡の監獄だという。

著者が、もしも自分が今議員だったらこうするのに、と言っているのは

・すべての教師が精神障害の兆候をそれとわかる研修をうけられるように予算をつける。
・小児科医に定期健診の時に精神障害のスクリーニングができるよう研修を行う。
・小児科医や精神科医の意見をIEPに盛り込むよう学校長に求める。
・地域のメンタル・ヘルスの予算を大幅に増やし、精神医療の専門家に運用させて、
そこに慢性的なホームレス状態の人々も多職種協働でカバーさせる。
・さらに、歩きまわったり歩道に座っただけで取り締まりの対象にするような
ホームレスをターゲットにした法律を廃止して、必要な人みんなに
住居と治療が短期、長期に行われる支援を作る。

この記事の最後は以下のように締めくくられている。

Timをそこに追いやったのは、国全体がしたことだ。

それならばTimとTimのような人たちをそこから戻してやるにも
国全体が本気になる必要がある。



米国の地域でのメンタル・ヘルスの取り組みとして
「起動危機チーム」について調べて書いてみたことがあります ↓
米国 精神障害医療の危機起動チーム介護保険情報」2008年3月号