木村晴美『ろう者が見る夢』と、人工内耳めぐる「リー・ラーソンの息子たち事件」 2

前のエントリーからの続きです。


『ろう者が見る夢』にも「インフォームド・コンセント」というタイトルで
人工内耳をめぐる親の選択に触れた章があって、

それによると、人工内耳装用者が増加していて、
あるろう学校の3歳児クラスでは、一人を除いて全員が人工内耳だという。

その子の両親はろう者で、人工内耳を知った上で不要だと判断している。
人工内耳を推奨している大学病院の耳鼻科でも頑固者として有名な親だそうで、
病院側も手術を受けさせようと長時間の説得を試みた。
「一応、保護者の意志は尊重すると前置きをしていながら、
どんなに断っても説得をやめなかったそうだ」(p.134)

そして、ついに根負けした医師は、人工内耳の代わりに新しい補聴器を紹介した。
スイスのフォナック社制のデジタル補聴器ナイーダは高性能で、
人工内耳並みに聴力が回復するという。

著者は次のように書いている。

 そのような高性能の補聴器があるのなら、なぜはじめから紹介してくれないのだろうか。…(略)…一度手術をしてしまったら取り外すことのできない人工内耳に踏み切るより、取り外しがきいて効果も高い補聴器の方がどれだけ安心かわからないと、その両親は言っていた。三歳児クラスの人工内耳児たちは、ナイーダのことは聞かされていないに違いない。デジタル補聴器を紹介しても病院に入るマージンはたかがしれている。人工内耳の手術をさせるほうがよっぽどおいしい。人工内耳の是非はともかく、最近の意耳鼻科医はインフォームド・コンセント(説明と同意)の義務違反ではないかと、その親御さんは語っていた。
(p.134-5)


ん―、アシュリー事件みたい……と思った。
他にも非侵襲的な問題解決の方法はあるのに、
それは最初からオミットしたところから話が始まって、子どもの身体に不可逆な侵襲を加えて、
科学とテクノによる極めて操作的なやり方で問題解決を図ろうとするところ、
それを医療の世界が主導していくところが――。

(ついでに、そこにグローバル強欲ひとでなしネオリベ金融(慈善)資本主義の
利権構造が透けて見えてきたりするところも――。)

しかも、興味深いことに、
この2つの事件は、侵襲的な問題解決の方法をめぐって、
一方は親が拒否して裁判所が最終的に親権を尊重したケース、
もう一方は親がやって、親権の及ぶ範囲が問題となったケース。

なるほど、ウ―レットが第4章で人工内耳の問題を
アシュリー療法と並んで取り上げているはずだわい……。

確かに、子どもの医療をめぐる親の決定権の範囲を考えるのにも、
医学モデルと社会モデルの対立を考えるのにも、
どんどん科学とテクノで操作的になって行く世の中や
その背後に繋がる利権の関係を考えるにも
たいへん意義深いケーススタディだ。

その他、この本から関連の事実関係を以下に整理してみると、

1880年のミラノ会議(ろうの出席者はたった一人だったとか)において
口話法が支持されたことから、各国のろう教育の現場から手話やろう教師が排斥され、
ろう教育の暗黒時代が130年も続くことになった。

その後、北欧でバイリンガル教育が始まり、
障害者権利条約は手話で教育を受け、手話で社会にアクセスする権利を掲げた。

2010年夏、カナダで世界ろう教育国際会議が開催され、
7月20日バンクーバー宣言が出された。
ミラノ会議の決議を撤回し、様々な弊害について謝罪。
ろう教育プログラムは手話を含むすべての言語とあらゆるコミュニケーション方法を受け入れ、
それを各国に呼び掛けることを決議。

この時「会場のろう者は一斉に立ち上がり割れんばかりの拍手を送った」(p.137)という。


なるほど、このミラノ会議からの流れの先に
人工内耳の問題が接続しているわけですね。

たしかに、障害を修正すべき正常からの逸脱とみなす医学モデルと
障害のある人がそのままに生きていける社会を考えようとする社会モデルの対立が
ここにはくっきりとしている。


ついでに、「リー・ラーソンの息子たち」事件の関連情報を
私自身のメモとして、以下に。(順次、増えていくと思います)

まず、事件の概要をまとめて、とても感動的な記事がこちら ↓
http://www.raggededgemagazine.com/1102/1102ft3.html

事件に対する、ろうコミュニティの抗議サイト
http://www.equalaccesscommunication.com/2002GrandRapidsRally/index.htm