「医師は患者本人の同意なしにDNR指定してもよいか」Bernat論文

昨日の補遺で拾ったNeurology TodayのBernat論文
「脳神経科医は患者本人の同意なしにDNR指定してもよいか?」。



ざっと大まかな内容を以下に。

まず、DNR(蘇生無用)指定がたどってきた歴史の解説として、

50年前に心肺蘇生が出てきた時には
効果が過大に評価されて心停止が起きた時のスタンダードな医療となったが、
その後のデータから、慢性病の末期ではほとんど蘇生効果がないことが明らかになり、
無益であるにもかかわらず患者に苦痛を強いるとして、
患者が心肺停止に陥っても蘇生を無用とするDNR指定が考案された。

そこで、現在の状況はというと、
ちょっとびっくりなのだけれど、

Today, nearly all hospitals require physicians admitting patients to indicate whether the patient is a candidate to receive CPR or is DNR.

今日、ほとんどすべての病院において、医師は患者を入院させる時に、その患者を心肺蘇生の対象とするか、それともDNR指定とするかの判断を求められている。


医療は基本的に本人または代理決定権者の同意に基づいて行われるものであり、
多くの病院がDNR指定にも同意をとる方針を出しているが、
そもそもDNRは治療を行う同意ではなく、治療の明確な否定であり、
自己決定の原則がそのまま当てはまるかどうかは曖昧。

また明らかに無益な治療については
医師は申し出たり相談しなくてもよいとの倫理原則を当てはめると、
無益だとのエビデンスがあるCPRを申し出ることも相談することも無用、とする倫理学者の議論もある。

しかし著者は

I believe that purposely not to mention the possibility of CPR is to squander an opportunity for an important discussion with the patient or surrogate on the patient's goals of therapy.

意図的にCPRの可能性に触れないでおくことは、患者の治療のゴールに関して本人や代理者との間で大切な話し合いをする機会を損なうと私は思う。

著者が推奨するのは、
この患者さんの場合は、と具体的かつ丁寧に説明し、
かくかくしかじかのように無益だから私はDNR指定にしますよ、と納得してもらうこと。

もちろん問題はそこで納得してもらえない場合であって、
そこからは個々の医師の決断なのだけれど、

ここで著者は、名前は出していないものの
Truogなどがここ数年主張している「無益でも家族に利益があるならやるべき」との意見を否定する。

実際にCPRってどういうものかを例えばビデオで見せるなど、
一般市民を啓発すれば、無茶な「ゼッタイやって」要求も減らせるはず、と説き、

一般向けにCPRやDNRについての啓発に力を入れよ、というのが結論。



なお、Truogの「無益でもやるべき」論についてはエントリー3つあり↓



なおBernat論文の末尾にTruogとLantosの論文が引いてあるのだけど、
上記リンクの去年の講演でTruogはLantos説を解説している。

私はこの講演でTruogが
家族の社会的背景や、家族と専門職の関係性を考えようとしていることが
とても意外だったのだけれど、同時に面白いと思った。