最近の「障害のある子どもの親」ツイートまとめ

親に子どもの障害を告知した後、なるべく早く同じ状態の子どもを育ててきた親(必ずしも親の会ではなく)に繋いであげてほしいと、ずっと言い続けてきたけど、当初は「いや、まずは私たちが支えて落ち着いてから」「まずはリハビリ」など専門職の自意識過剰の壁に阻まれた。
でも親の多くはスタートのところで専門職に高いところから「指導」「教育」してやろうとの姿勢やそこから来る言動に手ひどく傷つけられてきたし、多くの親が「初めて救われた気がしたのは同じ障害を持つ子どもの親と出会った時だった」と語っている。早く気付いてほしい。


地域に受け皿ないのに「地域移行」という名目だけを悪利用されて重症者がどんどん施設から追い出され、どうしようもなくなったら家族が自分で始末しなさい……なのか?


私がとりあえず今の段階で考える介護と負担の大きな子育ての4大苦は、①寝ない、②食べない、③先が見えない、④逃げ場がない。
それから、実は⑤に、「それぞれのカテイノジジョー」が来るような気がする。
「カテイノジジョー」って、もしかして島尾敏雄の「死の棘」で息子さんが言ってたのをパクってしまった、かも? なんせ、そういう、愛憎どろどろの修羅場込みのジジョーのことですが。
ここで書いてみたようなこととか ⇒障害のある子どもの子育ては潜在的な家庭の問題を顕在化させるhttp://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/45197442.html


「ゆっくりお治ししたい方はおいでください」って、いいですね。それだけで「病気であることを許されつつ医療を受けられる」感じがして。
病院というところへ行くと、なぜか小学生にでも戻って学校中の先生から取り囲まれて、叱り飛ばされ小突きまわされているみたいなイジけた気分になった・・・って、「海のいる風景」に書いたことでもあるんですけど、先週某所でお話ししたばかりなので特に。
ここでいう「病院」は総合病院のことで、同じ「病院」でも療育センターのようなところには、もうちょっとゆったりした時間と空気があって「許されている」感があった気がします。「ゆっくりお治し」に、あのゆったり感を思い出しました。
「医療だけ」の視線を向けられるのと、「医療もだけど支援も」という視線の中に置いてもらえるのとでは、えらい違いでした。20年前でも。親としての体験にすぎませんが。


母校の中高一貫校で教師になった年の夏、林間学校で生徒が転び、顔面に大きな傷を作った。担任が付き添って近所の病院へ連れて行き、何針か縫ってもらって 宿舎に帰ってくると、彼は当たり前のように女性教師の部屋に連れてこられた。女性教師は40代シングルのベテランと22歳シングルの私だけ。
夜になって、子供が3人もいる担任を含む男性教師3人が差し入れのトマトを持ってきて、部屋の入り口でたむろしつつホザいたのは、「こういう時に女が発揮する底力には男はかなわない。子どもが熱を出した時に女房は3日間ロクに寝ずに看病してた」。
そりゃアンタんちの我が子の話だろーが。それに、少なくとも「こういう時」の実体験がある父親であるアンタの方が、子育て体験のないシングル22歳の女よりも向いているはずなんだけど? だいたいアンタら、この生徒に誰より責任を負っているはずの担任と副担なんだけど?…と胸糞が悪かった。
こんな話を思い出したのは、「風化する光と影」にあった震災後のものすごいエピソードのため。火葬場の処理能力を超えたために土葬にした遺体を後に掘り起こして改めて火葬にする際に、爆発防止のために棺にたまった体液などの汚水を抜く作業をした、
それを担ったのが寺の檀家のボランティアで、多くは女性だったという。ボランティアと言ったって、人数割り当てがあって当たり前のように女性が出されたというだけじゃないかと思うのだけど、寺の住職が言うことに「女性の方が意外と肝が据わってい」る、と。
押し付けて無理矢理やらせておいて、「向いている」というのよ、アンタらは、いつでも。昔、黒人奴隷に麻酔もかけずに人体実験を行った白人医師たちは、「黒人は痛みに強い」と言ってたよ。


夢は深い。だから夢はコワい。夢の意味は、たぶん、その意味に気付いても大丈夫な時が来たら、その時に初めて解ける・・・何年も、時に何十年も経った後で。そんな気がする。