自殺幇助希望の“ロックト・イン”患者 Nicklinson訴訟で判決

脳卒中の後遺症が重く、自殺幇助を希望している英国人男性
Tony Nicklingさん(57)については、2010年に以下のエントリーで紹介し、


その後も続報を以下の補遺で拾いながら、毎回しつこく
「この人がロックト・インといわれるのは承服できない」と書き続けているのですが、



Nicklinsonさんが起こしていた訴訟の判決が12日に出た模様。

英国のメディアも多数報じているのですが、
なんとなく警戒したいところもあって、NYTの記事を。
BBCなんかは、もう歴然とPAS合法化ロビーだからね)

この判決、なんとも微妙で、読み説き方に戸惑うのですが、

一応NYTの記事は、まずは冷静に
認められたのは「合法的な安楽死ができるよう法改正を求める権利」としている。

原告がPAS合法化に向けた法改正を訴えていた論拠は3点で、

① 「必要」により正当化される(the defense of necessity)

全身性障害者のNicklinsonさんは自ら自殺行為を行うことができないので
幇助してもらうことは彼にとって必要。

これまでの判例では、
例えば、身体が繋がって生まれた双子などのケースで、
一方を死なせても一方の命を救うことが「必要」により正当化されてきた。

② 人権について定めた法に照らして、
現在の殺人と自殺幇助に関する法律は
Nicklinsonさん個人のプライバシーの権利と両立しない。

③ 現行法は、自発的なものかどうかを問わず、
積極的安楽死の実際を適切に規制するものとなっていない。


このうち、今回の判決が認めたのは①と②。

① が今回のNicklinsonさんのケースで認められたことについては
今後、医師が患者を殺害する法的根拠を与えてしまったことになると
懸念する声が医師らから早くも出ている。

最後の③については、
それは「議会の問題」であるとして退けた。


この記事に引用されているNiklinsonさんのコメントは以下。

his stroke had “left me paralyzed below the neck and unable to speak. I need help in almost every aspect of my life. I cannot scratch if I itch, I cannot pick my nose if it is blocked and I can only eat if I am fed like a baby ― only I won’t grow out of it, unlike the baby.”
“I have no privacy or dignity left,” he said. “I have locked-in syndrome and I can expect no cure or improvement in my condition as my muscles and joints seize up through lack of use. Indeed, I can expect to dribble my way into old age.”


私は2010年のエントリーの時から、
この人の奥さんのコメントには抵抗を覚えていたのだけど、今回もちょっとすごくて、

“Nothing is going to get better,” his wife, Jane Nicklinson, told the BBC on Monday. “The only way to relieve Tony’s suffering will be to kill him. There is absolutely nothing else that can be done for him.”


「トニーの苦しみを癒す方法はただ一つ、彼を殺すことでしょう」

「殺す」 kill という剥き出しの言葉を使って――。




他の記事にもざっと目を通してみて、この判決が意味するところは、
さらに訴訟を上へ持っていってもいいよ、ということに過ぎないように思えるのですが、

ただ、分からないのは、
「合法的PASを求める権利がこの人にはある」と裁判所が認めるということは、
この人と同じ条件の人には、合法的にPASを受ける合法性がある、と認めるということと
一体どこが違うんだろう。

あなたの訴えには合法性があるんだけど、法改正そのものは裁判所ではできないから
このまま訴訟を続けて最高裁まで持っていき、議会に法改正を迫りなさい、ということ?

ちょっと、その辺が私には読み解けないところ。