「あれは自分ではなかったか」読後メモ

2005年2月11日に石川県で起きた
グループホームのスタッフによる利用者への虐待致死事件を受けて、
7月に東京と大阪で開催されたセミナーでの、

下村恵美子、高口光子、三好春樹3氏の講演内容をまとめた本、



いろいろ考えたこと、書きたいこともあるのですが、
ちょっと余裕がなく、図書館への返却期日も迫っているので、
特に家族介護者・介護者支援に関係した部分を中心に、メモとして。
(ゴチックは全てspitzibara)

まず、前書きで三好春樹氏が、
この事件に関する報道のなさや事件への介護職の沈黙について書いた後で、
次のように書いていることが印象的だった。

 さらに言うと、その深層には、痴呆性老人は生きていても意味のない存在だ、という無意識があると思います。
 なにしろ「尊厳死」を訴える人たちが「尊厳死」してほしい状態として「痴呆」を挙げていたくらいです。これは抗議によって撤回されましたが、そう考える人は多いはずです。
 もちろん私たち介護関係者はそんな考えは論外です。なぜなら痴呆性老人に「尊厳死」ではなく、「尊厳生」を作りだす方法論を持っているからです
(P.5)




以下、下村さんの講演から。

トイレももちろんなんですけど、「寝らんボケ」ほどつらいものはありません。寝ないお年寄りにつきあうことで、みんなほとほと疲れ果てるわけです。家族もここでほとんど限界がきます
(略)通所で来ている昼間だけの、つきあいの時は、家族の余裕のなさを、なかなか理解できないこともあります。
 泊まりでそういう夜を自分が体験すると、ご家族が冷たい目でお年寄りを見ていることがあっても、「次々に大変なことが起きて、長いことようつきあいんしゃったですね」って、心から共感して、家族に言えるようになりました。そういうふうに、誰からも言ってもらったことがない介護者が多いわけです
(略)
 たった一人で介護し続け、孤立し、立派な介護者であることを求められる家族。逃げ場のない家族ほど、同じ立場を共有し、共感してもらえる人がいることで救われます。それは仕事として取り組んでいる私たちが替われることではありません。当事者としての「家族の会」が担える役割であり、その存在意味はとても大きいと思います。
(p.21-22)


私もミュウの施設入所を決断する時に、
師長さんから「いままでよく頑張ってきたね。
これからは一人で頑張らなくてもいいよ。一緒にやろうよ」と言ってもらい、
「やっと許してもらえた……」と何年もの間に凝り固まった心のこわばりが
温かく解け出していくのを感じた。

それまで、誰からもそんなことを言ってもらったことがなかった。


 夜に眠らないと人はおかしくなります。自然の体のリズムに逆らい、起き続けているわけですから。お年寄りだけではなく、職員も同じようにおかしくなっていきます。私はいっしょに右往左往しながら、朝が来るのを本当に待ち焦がれて、しらっと明るくなってくると、「ああ、よかった、朝が来た」という思いを何度もしました。早出の職員が来た物音に救われ、気持ちを切り替えることができます。
 明けない夜はないと言われますけれど、確実に朝が来ることがわかっているから夜中の仕事を乗り切れているように思います。夜の仕事がどれだけしんどいか。睡眠がとれないということは、人を狂わせていくんです。先ほどの3日寝ないと殺人が起こせるという家族の言葉はとても真実味があります。人生を共にし、なくてはならない大切な家族であっても、眠れない夜が続き余裕がなくなれば、普通でいられなくなるわけです。ましてや、赤の他人である私たちの理性など、まったく、当てにならない、もろいものです
(p.26)


これだけは、直接我が身で体験した人でないと分からないだろうと思う。

それだからか、世間サマは
「2日でも3日でも寝ずに優しく看病する母親の深い愛」などとウルウルしながらホザく。

一生のうちに1度か2度なら、それだってできるかもしれない。
そういうことが毎週のように続いても、やり続けられる母親が、
一体どこにもいるというのか。

その時には、世間サマだけでなく母親自身までが
それができない自分を責めることになるというのに、
その残酷がどうして顧みられないのだろう?


最後に下村さんが紹介した谷川俊太郎の詩「願い」の、
以下の一節に、胸をえぐられた。

全世界が一本の鋭い錐でしかないとき
せめて目をつむり耐えてください
あなたも私の敵であるということに

(p/39)


高口さんの講演から。

 臭い、汚い、わずらわしいと感じるのはあるがままの自分の姿です。そのことが語れないのでは困るのです。あるがままの自分を語れるのは、受け入れてくれる仲間がいるからです。あるがままの自分を語ってもよい職場が前提にあるので、臭い、汚い、わずらわしい、と言うことが言えるのです。
(p.57)


もちろんそれだけがすべてではないけど、
介護は誰にとっても時にしんどいものなのだという事実を
世の中みんなが事実として共有してくれたら、
世の中の介護者はどんなに救われるだろう、と、いつも思う。