「リハビリの夜」を読んだ 2

前のエントリーの続きです)


そうした共感を持って読みつつ、
それではあまりに希望というものがないではないか……と
暗い気持ちに陥ってきたところで、

ふいに、以下の鮮やかな一節が登場する。

失禁した私から見える世界は、その多くが、私とは関わりを持たずに動く映画のようだ。街行く通行人、楽しげな街角、忙しい喧騒は、私からは遠く、スクリーンを隔てた一枚向こう側に見える。そのかわり、これまでは余りに当たり前すぎて協応構造でつながっていることすら無自覚だった地面や空気や太陽は、くっきりとまぶしくその姿をあらわし、私の体はそちらへと開かれていく。彼らは失禁しようがしまいが相変わらず、私を下から支え、息をすることを許し、上から照らす。
活気あふれる人の群れから離れていく疎外感や、排泄規範から脱線してしまった敗北感と同時に、力強くそこに存在し続ける地面や空気や太陽や内臓へと開かれていく解放感の混合。
失禁には退廃的ともいえる恍惚がある。
(p.216)


鮮烈な感動に襲われて、
涙が出そうになった。

ああ、これは「歎異抄」だ……と、しみじみと思う ↓



そこから著者が主張しているのは、

……私の経験を通して言えることは、失禁を「あってはならないもの」とみなしているうちは、いつ攻撃してくるか分からない便意とのの密室的関係に怯え続けなくてはならない、ということだ。むしろ失禁を「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉えて、失禁してもなんとかなるという見通しを周囲の人々と共有することによって、初めて便意との密室的な緊迫感から解放されるのである。
規範を共有するだけでなく、同時に「私たちは、気をつけていても規範を踏み外すことがあるね」という隙間の領域を共有することが、一人ひとりに自由をもたらすと言えるだろう。
(p.220)

私と他者とのほどきつつ拾い合うような関わりではなく、単体で切り離された私の運動のみを問題化して、正常な発達のシナリオをなぞらせるようなリハビリの過ちは、そのようなモノや人や自己身体を含めた、他者の存在を軽視したところにあると言えるだろう。

解放と凍結の反復が他者へと開かれたときに、そこに初めて新しいつながりと、私にとっての意味が立ち現れる。そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係はより細かく分節化され、深まっていく。それを私は発達と呼びたい。
(p.232-233)


「どうせ赤ちゃんのまま」と決めつけ正当化される”アシュリー療法”の論理を始め、
全てを個体要因に帰して、個体への操作で問題解決を図ろうとする
「科学とテクノの簡単解決バンザイ文化」は、

ここに描かれた「リハビリの過ち」を、なおも繰り返し、さらに拡大しようとしている。

「リハビリの夜」もまた、
そんな時代に、鋭くも深い響きで警告を発する書なのだった。


                ―――――――

この本の本題とは全く逸れるけど、
一つとても印象的だったのは、

著者にとって親の介助はやって当たり前で、むしろ
親のペースに合わせさせられたことは不当な記憶として残っているのに、
パートナーの介助は「やって当たり前」にならないよう意識的な努力がされていること。

そこのところの違いが面白いと思った。
何がその違いを生むのか、これからじっくり考えてみたい。


親の立場としても、
親に介助・介護されることを、
親に養われるのと同じく「やって当たり前」と子には感じていてほしいし、
そう感じさせる親でありたいとも思う。

それは著者のように自立生活を送れず
成人した後も親の介助・介護を受けざるを得ない人であっても、
子にとっては「やってもらって当たり前」と感じられるようであれかしと、
親の立場として願う。

ただ、それは親と子の間での話であって、
何歳になろうと子は親の介助・介護を当たり前と感じていてほしいと願うからといって、
その親子の介助・介護関係を社会の中に置いてみた時に、
社会までが「いつまでも親がやって当たり前」というのは、
ちょっと話が違うんじゃないのか、と。

やはり、子が親に養われるのを「当たり前」と考える年齢を過ぎたら、
親が子を介助・介護することも当たり前ではないと捉える社会が
「当たり前の社会」なんでは?


それから、親としての立場で、
ものすごく体験が重なったのが以下の一節。

同じ身体障害者といっても、千差万別である。その差異を無視されて、“正しい”自立生活へと同化させられるのでは、私をまなざすのがトレイナ―から先輩へと移行するだけで、あいかわらず≪まなざし/まなざされる関係≫に陥ることになる。
(p.153)


障害のある子どもの親になった時、
まず、専門家から「我が身を省みず何をもいとわず
専門家の指導通りの療育に邁進する親」という
「優秀な障害児の(母)親」規範を押し付けられた。

同時に世間サマからは
「どんなに苦しくとも我が身のことは構わず、
常に元気に明るく前向きに、子どものために超人的な自己犠牲で献身する」
「美しい障害児の(母)親」規範を押し付けられた。

そういうまなざしと、「私は私なんじゃわい」と闘い続けてきて、
娘がようやっと成人し、親もそろそろ老いのトバ口に立ったところで
最近、ふと気付くと、時に、

障害者運動や支援職の人たちから
「子どもの障害像や家族や地域の状況がどうであろうと、
我が子に“自立生活”をさせるか、それを目指して全力を尽くす」
「正しい障害者の親」規範を押し付けられている……のか……?
という気がすることに、戸惑っている。

まなざされ、一方的に評価の対象物にされていると
意識させられることへの違和感は、いずれも変わらない。