“無益な治療”差し控えは義務へ:「無酸素脳症新生児に蘇生25分はやり過ぎ」病院に賠償命令(仏)

“無益な治療”論、フランスでは
「一方的に拒否することは許されるか」とか
「どういう状況なやめてもよいか」という問題から
「どういう状況ならやめなければならないか」という問題になりつつあるらしい。


Thaddeus Mason Popeの以下の2つのエントリー情報によると、

2009年に子宮内低酸素脳症で生まれた新生児に
25分間の蘇生を行って救命した病院が
その子どもが重症の障害を負ったことに対して裁判所から
「25分もの蘇生は“unreasonable obstinacy(理不尽なやり過ぎ)”だった」と判断され、
賠償金の支払いを命じられている。

去年フランスの医学雑誌でこのケースを取り上げた論文では
以下の論点が指摘されており、

① 蘇生開始そのものは問題とされなかったが長過ぎたとされている。
② 子どもが死んだと親に誤って伝えたことは罪に問われなかった。
③ 両親と子どもに対して賠償の支払いが命じられたことは
 障害のある子どもが生きていることが賠償の対象ということになる。
④ 子どもの障害が無益に長すぎる蘇生のよるものか
それとも元々の無酸素脳症によるものかは判別しにくい。

結論として、
こういう判決が出ると
結果的にその子が障害を負うリスク故にではなく
訴訟でこうした責任を問われるリスクを回避するために
新生児科医らが子どもの蘇生をやらない選択をするようになるだろう、と。

この事件そのものは上訴されてまだ結審していないらしいけれど、

上記の判決が出た後でできた法律があるらしくて、
その法律は医師らに対して「理不尽なやり過ぎは慎むよう」求め、
「不必要だったり、度を越していたり、人工的な延命以外の目的や効果のない治療を
開始したり続けたりしてはならない」と規定している、とのこと。

なお、同様の法律はスペインでもできた、とのこと。

European Journal of Health Lawというジャーナルに掲載された
この事件を巡る論文”A French Hospital Sentenced for Unreasonable Obstinacy”では
法律そのものに問題はないが、それを実際に適用するとなると
特に上記のケースのような救急の場面などでは疑問である、と結論。


Hospital Sentences for Providing Futile Treatment
Medical Futility Blog, January 30, 2012


訴訟そのものは、
ずいぶん前からあった例の「ロングフル・ライフ訴訟」なのだろうと思うのだけど、

その判決が「無益な治療を不当に長くやり過ぎたことの責任」を問うという形で出たことで、

「無益なら一方的に拒絶してもよい」から「無益な治療をやること、まかりならぬ」へと
Popeが言うように”無益な治療”概念そのものが一歩また先に踏み込まれた、と。


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【ロングフル・バース関連エントリー注:「バース」と「ライフ」の違いは5つ目のコメント欄に
「出生前診断やらないとロングフル・バース訴訟で負けますよ」と加医師会(2008/11/8)