障害者差別としてボツになった「オレゴン・プラン」の基準が、IHMEによってグローバルに復活することの怪

Oulletteの”BIOETHICS AND DISABILITY”(p.114)から
1990年代初頭にOregon州で提唱されたが
連邦政府保健省から米国障害者法(ADA)違反を指摘されてボツになった
オレゴン・プラン」の基準について。

医療には障害バイアスがあるとの障害者コミュニティからの指摘は歴史的事実だ、と
敢然と書いてくれるOulletteが、“無益な治療”論をめぐる3章で
障害当事者に医療に対する不安につながるトラウマを残した事件として挙げているのが
Baby Doe事件と、この「オレゴン・プラン」。

Oulletteの解説によると、
メディケイドの給付対象とする治療に優先順位をつけ、
それによって対象者の拡大を図ろうとの計画。

その優先順位を決める方策の一つが電話によるアンケート調査で、
6種の機能障害と23の症状についてどう感じるかを問い、
これらの障害と症状の「満足(訳?)の質 Quality of Well-Being」をランクづける、
というものだった。

そのランキングに基づいてオレゴン・プランが実施されると、
それまで給付対象とされていた709の医療サービスの内
122が対象外となる見込みだった。

しかし、そのランキングは
症状のない状態に患者を戻す医療サービスが優先されるもので、
慢性疾患や障害のある患者への医療の切り捨てにつながる。

オレゴン州は実施に向け合衆国保健省の承認を求めたが
保健省は障害者差別に当たるとして1992年に却下。

その理由として、

Quality of Well-Beingデータは
それらの障害や症状を経験したことのない人の回答に重きを置いており、
障害者に関するステレオタイプが数値化されたもの。

Quality of Well-Beingのランキングで下位にあることが
必ずしもアセスメントそのものが低いことを意味するわけではないが、

そのランキングによって医療が制約されることになると、
オレゴン・プランには障害のある生は障害のない生ほどの価値がないとの
前提に立っていることとなり、医療における差別を禁じたADAの精神に反する。

ついでに書いておくと、
障害者は「治療するにはカネがかかり過ぎる」という前提に立つ“無益な治療”論にも
同じことが言えADA違反だとの障害者コミュニティの主張を
Oulletteはこの後、紹介していく。


で、私はこのくだりを読んで、ものすごく不思議だったのだけれど、
じゃぁ、どうしてDALYやQALYは障害者差別でないの???????

それに、ゲイツ財団の私設WHOであるワシントン大学のIHMEは
Global Burden of Diseaseのプロジェクトとして一昨年から
世界規模でこのオレゴンと全く同じ調査をやっているんだけど?


どうして、この調査には障害者差別だという批判が出ないの?
WHOは何を平然とHIMEとパートナー組んでDALYを採用したりしているの?




           ――――――

なお、日本語で検索してみたら、

1992年にTruogがオレゴン・プランに言及しつつ
「無益性が客観的概念ではない、最善の利益検討と分配の問題とを切り離せ」と説く
論文の和訳がありました。(オレゴン・プランについては客観的な指標として評価?)↓
無益を超えて(解説)


根拠に基づく健康政策へのアプローチ
林 謙治 国立公衆衛生院 保健統計人口学部
J. Natl. Inst. Public Health, 49(4):2000

350ページ右上に、連邦政府よりも熱心に政策評価をした州の例として
「その中でも住民の満足度を測定したオレゴンベンチマーク(1989)が有名である」。

それから読めませんが ↓
オレゴンヘルスプランの展望と日本の医療への適用性の検討
鎌江伊三夫、前川宗隆
神戸大学都市安全研究センター研究報告


日本では国民が目にするような表立ったところでは議論にならず、
かといって専門家の間でこういう議論が行われていることをメディアも伝えず、
いつのまにかコトが起こり行われていくみたいだと、常々感じていることからすると、

多田富雄氏の果敢な闘いが記憶に鮮やかな
コイズミ時代のあの言語道断なリハビリ切り捨ても、もしかして要は
オレゴン・プランの方向性が粛々と取り入れられていたってことだったの……?

国保健省が障害者差別だと判断したからボツになった事実はどこへやら、
「住民の満足度を測定した」「客観的な指標」とやらに化けたうえで――?