“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える

英国で、ウツ病統合失調症の新薬の開発研究から
ビッグファーマが相次いで資金を引き揚げ始めて、
研究者がパニックしている。

ラクソの幹部は去年、同社のSeroxatを含め、
これらの薬の副作用で子どもに自殺念慮が起きるとされる問題は
別に撤退の要因ではないと語っており、

これら精神科薬は研究開発や認可にかかる年数が長く
費用もかかる割に、治験の最終段階に至ってとん挫する可能性があるなど、
投資した資金に見合わないためだと説明。

The European College of Neuropsychoparamacology(ECNP)は
14日にレポートを取りまとめて、脳障害研究への資金枯渇への対策を訴えている。

レポートは、
EU人口の4分の1が毎年なんらかの神経障害を負っており、
健康を害する原因の23%、障害を負う原因の50%は脳の病気によるもので、
それらは毎年2370億ポンドのコストとなっており、
そういう人は働けなくなるので、放っておくと社会経済にとっても負担である、と分析。

精神障害への治療薬の開発費用がこれまで製薬会社に依存してきたために、
このままではうつ病統合失調症の原因究明もままならず、
科学者が新たな知見に至れなければ、新薬もできない、と危機感を募らせる。

著者の一人 David Nutt医師は
「ここで研究が止まったら、次に体制を整えるまで20年から30年かかる」

「身体のその他の系に比べれば、
我々はまだ脳の働きについてはほとんど原始的な理解に留まっているというのに」

「患者への影響はこんなに大きいというのに、
EUの研究資金はもともと少ないところへもってきて
ビッグ・ファーマが向精神薬の開発は儲からないと考え始めている」

「一番問題になるのは訴訟だ。
売りだして30年も経ってから副作用が出れば企業が訴えられるからね。
でも、その問題にはECNPが保険を提供できないかと考えているところだ」

Nutt医師について非常に興味深い事実関係として、
2003年にSeroxatの安全性に関する政府の調査委員会に任命され、
その販売元であるグラクソとの間に金銭関係があったことが明らかになって
委員を辞職した中の一人だったとのこと。

今でも抗ウツ薬には重大な問題はないと主張する。

「すべての薬に副作用はつきものだ。
抗ウツ剤のリスク・ベネフィット分析は圧倒的にベネフィットが大きい」


Guardianは
こうしたビッグ・ファーマの向精神薬マーケットからの撤退について

「(グラクソやアストラゼネカの新薬開発からの撤退は)
主要製薬会社が大ヒット商品を競って売りだしては、
それをGPが何100万人という軽度や中等度のウツ病患者に処方していた
プロザック時代の終焉をくっきりと浮き彫りにした」と。

記事を読んで、まず、すごくシンプルに疑問に思ったのは
Nutt医師がウツ病統合失調症を一貫して「脳障害」「脳の病気」としていること。

それはウツ病については恐らく
例の「脳の化学バランス失調」説なのだろうと思うのですが、
その一方で上記のように脳の働きについてはまだほとんど分かっていない、とも言うなら
それは相矛盾していないかなぁ……?


それにしても、今まではガンガン投資し、新薬を次々に開発し売りだして、
その過程ではあちこちの研究者やら学界やらにも湯水のようにカネをばらまいて
さんざん一緒になってマーケッティングして売ってもらっていたくせに

もうこれ以上、こっちのマーケットには儲け代は残っていないし
プロザック時代の“祭り”はお終い……となれば
こんなふうに手のひらを返すのかぁ……。

さんざんプレゼント攻勢にかけ下にも置かぬ扱いでアッシー君を利用しまくって、
そのあげくに別に新車のアッシー君を見つけた途端に
「あなたのこと、本当は最初から好きじゃなかったの」と
すげなく去っていく恋人みたい。

蜜月はずっと続くと思っていたのにいきなり袖にされた研究者さんたちがパニックして
「お願いだから考え直して。都合が悪いところがあったら考え直すから。
ほら、患者が副作用で死んだからって訴えられても、もう大丈夫なんだよ。
キミが困らないように、学会の方で保険制度も考えてあげているんだから」と
追いすがっているように読めてしまう……。

             ――――――

ちなみに、上記「新車のアッシー君」は、
素人の私のまったく無責任な読みでは「ワクチンの10年」祭り。

なにしろ、こっちのアッシー君は財閥の息子だし、10年保証だし。

かくして、グローバル慈善資本主義ひとでなしネオリベ経済では
モノやサービスが消費されるのに加えて、何よりも大事なのは
マーケットが次々に作り出されては消費されていくこと、なのですね。

既に消費され尽くしたマーケットは見向きもされない。
常に「次のターゲット」「その次の新しいマーケット」を、
産業界も各国政府もみんなが血相変えて追いかけるのに忙しいから。

「いつかかなう不老不死の夢」を
消費者みんなが追いかけ続け(させられ)ているのと同じように。

「科学とテクノで簡単解決バンザイ文化」が誇大に描いて見せる夢に煽られて
みんなが常に「今」ではなく「いつか」を見つめ、追いかけ(させられ)ることによって
次々に新しい欲望が喚起されるなら、

そこからは新しいマーケットを生み出す可能性を無尽蔵に汲むことができる。

だからこそ、グローバルなカネの動きは、
常に次から次へと新しいマーケットに向かって急流を成し、
そのカネを追いかけ、マーケットを追いかけることにみんなで血道を上げる。

まるで、わっと群れを成してやってきて、
そこで食えるものを根こそぎ暴力的に食いつくしてしまうと、
次の獲物をさがして一気に飛び去っていく害虫の群れみたいに。

でも、そんな世界の経済と金融の仕組みが出来上がってしまった中では
それについていく以外には企業も各国も生き残るすべがないのだろうとも思う。

そのマーケットが消費し尽くされて、
また「その次の」マーケットが示唆されるまでに、
乗り遅れないようにきちんと参入し存在を示しておかなければ、
さらに「その次」へのレースに入れてもらえなくなるから。

誰に示しておくのか、誰に入れてもらうのか、と言えば、

それはやはり“愛と善意”の旗を振っては「次」を示唆し、
そのカネの流れを支配している人たち――?