「裁判所が医療に口を出すんじゃねぇ」「出すんだもんね~」と、08年のGolubchuk“無益な治療”裁判で

前のエントリーで読んだカナダのRasouli訴訟の判決文の中に、
08年に当ブログで追いかけたGolubchuk事件の審理に関する個所があり、
非常に面白い議論があったみたいなので、その部分を。



当該部分は判決文の[80]から[82]までの個所。

どうやらGolubchuk裁判の時に、
「医療職が患者の治療を差し控えたり中止するのに同意は無用。」
んなの、裁判所がイチイチ口を出すことじゃねぇ」
病院側が主張したらしい。

ここを読んで、うぐっ、ふっふっ……思わず血沸き肉騒いでしまったのは、
これ、当ブログの一番のオトモダチ、Norman Fostの持論そのものだから。

Fostの持論通りの啖呵を
08年にカナダの裁判所で切った医師がいたのですね。

で、それに応えて、判事は “the court did have a role
何を言うか。裁判所は口を出すんだもんね~、と。


あのGolubchuk事件で、こんなやりとりがあったとは……。

07年のシアトルこども病院生命倫理カンファでの
Fostの「医療は医師が決めること。医師は裁判所になど行かず自分の思う通りにしろ」発言には
私は、お尻から火を吹いてシアトルまで太平洋を越えてくくらいの
衝撃を受けたものだったけど、

カナダでも同様の考えが医師の間で広がりつつあったということなのでしょう。

「無益な治療」論ではカナダがどうやら最先端か……なんて
生意気な感想を抱くようになった今になって振り返れば
当たり前のことといえばそうなんだけど、当時は何も知らなかったし。

ただ、Golubchuk訴訟で判事が「口は出すんだもんね~」と応じた根拠は
身体接触のある治療には同意が必要だとか、その他あ~だこ~だと
学者の説を引っ張ってきてある内容が、私にはちょっと理解できないのですが。

それから、その他にもSawatzky訴訟、Sweiss訴訟と類似の判例があって、
そちらでも「治療の差し控えと中止に医療職は同意を必要としないとの判断は出ていない」とのこと。

結局、今回のRasouli訴訟の判事さんが言うには

[83] Sawatzky, Golubchuk and Sweiss demonstrate that the common law position on whether consent is needed to withdraw or withhold treatment in Canada is not firmly decided. The inconsistencies in Canadian case law on the issue and the existence of jurisprudence supporting a duty to obtain consent in withdrawal of treatment circumstances, lead to the conclusion that the law on whether consent is needed to withdraw or withhold treatment in Canada is not wellsettled.

コモン・ロー的には、カナダでは
治療の差し控えと中止に同意が必要かどうかは、はっきり結論が出ていない

で、前のエントリーで読んだ今回の判決の結論としては
医療同意法の「治療」には「治療の中止」も含まれているので同意は必要
という解釈でした。

           ――――

「医療職が治療をやるまいとやめようと同意なんかいるか、そんなの裁判所の知ったこっちゃねぇ」
「ところが、ちゃ~んと裁判所の知ったことなんだよね~」

このやりとり、私は“Ashley療法”で聞きたいっ。

「重症児の成長を抑制するくらいのことに、裁判所が口出すこたぁ、ねぇ」な~んて
ゼニ印の虎の威を借りてタカビーこいてる Norman Fost や Diekema に、
誰か、はっきり言ってやっておくれ。

「医療が障害者相手に犯した過去の過ちを忘れたか。
医療はなかったことにしたくとも、法には歴史性というものがあるのだ。
だから、障害者への侵襲度の高い不可逆な医療については
裁判所はしっかり口を出すんだもんね~。べぇ~ぇ」