Joseph Maraachliくん、気管切開し自宅に戻る

カナダの“無益な治療”訴訟、Maraachli事件の続報。

Joseph君の呼吸器を「無益な治療」だとして外すと言い渡した病院と、
それに抵抗し、せめて死までの時間を自宅で過ごせるように気管切開を、と求める両親が
裁判で争った末に、カナダの裁判所は病院の訴えを認め、
気管切開はされないまま呼吸器が外されることが決まったが、

その後、プロ・ライフの活動家らの支援によって
セント・ルイスの病院に転院がかない、気管切開を受けることができた……
というところまでを当ブログで追いかけてきましたが、

Joseph君はその後、自宅に戻り、
人工呼吸器なしで自力で呼吸し、穏やかに過ごしているとのこと。

時どき眼を開けると、身体を動かしたり、
父親が指をさし出すと握ったりもする。

セント・ルイスの病院が明らかにしたところでは
Josephくんの病気はレイ病。


父親は、息子がいつまで生きるか分からないが、
こうして穏やかな家族の時間が過ごせていることそのものが
もともとのカナダの病院の判断が間違っていた証拠であり、

勝ったと感じている、しかし、

なぜ気管切開をしてもらうために
わざわざセントルイスまで行かなければならなかったのか、
そのわけを知りたい、と。

‘I feel victorious,’ says Baby Joseph’s father
The Vancouver Sun, April 25, 2011


記事へのコメントの議論は
「わずかな延命のための資源の無駄遣いである」かどうか、が論点になっている様子。

中に「みんな見逃しているけど、この子は苦しんでいるという事実がある。
気管切開で、その苦しみを人工的に伸ばしているだけ」と書いている人がいる。

記事の写真を見てほしいのだけど、
眠っているJosephの顔は苦しんでいる子どものそれではないと思う。

「重い障害がある状態で生きているのは常時痛苦に耐えなければならないこと」と思い込むのは
以下のエントリーを始め「ステレオタイプという壁」の書庫で書いているように単なるステレオタイプ