ドイツ医師会、自殺幇助に関するルール緩和し、判断を個々の医師にゆだねる

ドイツ医師会が17日、新たにガイドラインを発表し、
これまで医療倫理の明らかな侵犯としてきた患者への自殺幇助に関して、
幇助をするかどうかの判断を個々の医師の良心にゆだねる方向に方針転換。

医師会長は
「医師自身に良心の曇りがないなら、我々は非難しない」と。

自殺そのものはドイツでは違法行為ではなく、
本人の医師が明らかな場合に生命維持措置を中止することも違法ではないが、
殺してくれと明白な要望をしている人を殺す行為には
最長5年の懲役刑の可能性がある。

ドイツ医師会は98年に
医師の使命は治癒し苦痛を和らげるだけではなく
場合によっては患者を死なせることが生命を維持する義務に優先することもあると
自殺幇助に対する姿勢を緩和している。

この度、個々の医師の判断を尊重するとのスタンスへと
さらに踏み込んで姿勢を緩和した形。

5月に開催される医師会の年次大会において
死にゆく患者の生命を「積極的に短縮」してはならないとする医師の倫理綱領の
文言をどうするか、さらに議論を続けていく予定とのこと。

ドイツ・ホスピス協会の会長は
個々の医師に自殺幇助の倫理性判断がゆだねられ、医師のジレンマは大きくなった、と。



記事の最後に、ほんの申訳のように
ナチスが病者・障害者を「生きるに値しない命」として抹殺した歴史が
ドイツの自殺幇助を巡る議論には影響し続けてきている、と書かれているのですが、

人類歴史の最も大きく、最も悲痛な教訓の一つが
こんなにも早く、目をそむけられ、忘れ去られてしまうのか……。

ナチスの当事国であるドイツ医師会が、他国の医師会に先んじてはいかんだろう……と
このニュースからは、また格別の衝撃を受けるだけに、

そのドイツ医師会が率先して自殺幇助に対する姿勢を転じたということ自体、
今の世の中が向かっていく流れという点では、たいそう象徴的なことなのかも……とも考える。

なにしろ、

科学とテクノの進歩で可能になった人体や生命の操作と
それらから派生し蔓延していく「科学とテクノで簡単解決文化」と、
そこに絡みついたグローバル強欲資本主義利権に煽られる一方の国際競争、
そこで生き残っていくために自国民を資材扱いしたり見殺しにせざるを得ない各国の経済事情
……などなどを背景に、

生殖補助医療・遺伝子診断による障害児出生予防策、
生まれてきても、生きている人が病んでも、重症障害者には治療を拒否する”無益な治療”論、
「ターミナルで耐え難い苦痛がある患者」からどんどん対象を広げていく”死の自己決定”議論、
上記議論の対象者に向かい、そろそろと触手を伸ばしてくる”臓器不足”解消議論などなどが
じわじわと互いの距離を縮めつつ、急速に世界中に蔓延させつつあるのは、

まさに、そのナチス
「障害のある生は、生きるに値しない命」という価値意識――。



ドイツの医師会がナチスで自国の医師らがやったことへの反省を
こんなにも素早くかなぐり捨てられるのだということを考えると、
その閉鎖された世界独自の論理が独走・暴走しないためには、
医療にも、軍と同じで、文民統制が不可欠なのだけれど、

上記諸々の事情が絡みあって、今や、それが無効化されつつある……ということ……?

Norman Fostらが司法の介入を忌避し、
医療から司法を締め出すためのアリバイ装置として
倫理委員会を利用しようとしていることに
これまた象徴されるように……?