2010年10月21日の補遺

まだ続いているオーストラリアの介護者週間の記事。「老親の介護をしている人たちは疲れ、孤立し、忘れられている」
http://www.abc.net.au/unleashed/40290.html

オーストラリア首都特別区が、介護者憲章を準備するとして、介護者らから意見募集。「介護者」には、孫の面倒を見ている祖父母も含まれるらしい。
http://www.abc.net.au/news/stories/2010/10/21/3044102.htm

豪政府、介護者戦略のための介護者からの意見募集のため、保健省からディスカッション・ペーパーが出ている。
http://www.fahcsia.gov.au/about/news/2010/Pages/TowardsaNationalCarerStrategy_18oct2010.aspx
http://national.carersaustralia.com.au/?/national/article/view/1977

米。介護施設での抑制は社会問題となり激減したものの、それに伴ってアラームが多用されるようになった。身体抑制こそしていないものの、アラームを取り付けられることにより精神的な抑制がかかっている事実に、そろそろ目を向けるべきでは、とMcKnightの介護ニュース。
http://www.mcknights.com/whats-the-buzz-the-unpleasant-sound-of-alarms-in-long-term-care-facilities/article/181358/



ProPublicaがまたやってくれました。ビッグファーマのプロモ要員に駆り出されている医師らのいかがわしさ。:ここの調査報道は、もうほとんど絶滅危惧種のジャーナリズムの中で健闘している。
http://www.propublica.org/article/dollars-to-doctors-physician-disciplinary-records
http://www.propublica.org/article/how-the-drug-companies-say-they-screen-their-speaker-docs


英国60年ぶりの大幅予算カット。当然、福祉の諸手当も。
http://www.nytimes.com/2010/10/21/world/europe/21britain.html?_r=1&th&emc=th


12日にFellさんのコメントで教えてもらった「寄生獣」の最初の3巻を読んでみた。amazonを覗いてみたら、これ、英訳もされているんですね。

寄生獣というのは、人間の脳に寄生して全身を支配し、他の人間を捕食する生物のこと。この話、面白い。これをFellさんが直感的にピーター・シンガーに「読んでくれればいいのに」と思ったというのは、けっこう象徴的かも。これまでで特に面白いと思った個所を以下にメモ。

・物語は、地球上の誰かがふと思うことから始まる。「人間の数が半分になったら、いくつの村が焼かれずにすむだろうか……」「生物(みんな)の未来を守らねば………………」と。(そう、「みんなの未来を守るために人間を殺さなければ」と、生物みんなのために考えてくれる人が最近多くなりましたからね)

寄生獣ミギ―と新一の会話:「わたしの『仲間』たちはただ食ってるだけだろう……。生物なら当然の行為じゃないか。シンイチにとっては同類に食われるのがそんなにイヤなことなのか?」「当たりめえだろ! 人の命ってのは尊いんだよ!」「わからん……尊いのは自分の命だけだ……。わたしはわたしの命以外を大事に考えたことはない」

寄生獣ミギ―の言葉:シンイチ……『悪魔』というのを本で調べたが……いちばんそれに近い生物はやはり人間だと思うぞ……人間はあらゆる種類の生物を殺し食っているが、わたしの『仲間』たちが食うのは、ほんの1~2種類だ……質素なものさ。

・初めて出会った「仲間」との殺し合いに勝った際に、ミギ―が仲間と出会ったことよりも勝ったことにだけ意味を見いだし、その理由を自分の方が知識量で勝っていたからだと分析する(ミギ―はものすごい勉強家)のを聞いた新一の言葉:その時ゾッとしたんだ……情(じょう)のかけらもない、何て言うか……まるで昆虫と話しているような……

・ある寄生獣の言葉:フフフ……我々が管理するこの肉体なら140年は生きられるだろう……。(TH二ストさんたちは150歳まで生きられると言っていますしね。そういえば脳に寄生すると、その人間の肉体としての能力を寄生獣は総合的にエンハンスするんですよ。この話、ほんと良く出来てる)

・きわめて知性の高い寄生獣の言葉:…………人間ていうのは、どうしてこう合理性に欠けるのか…………。(そう。「合理性」というのは極めて重要なキーワード。合理的でないことは、ある種の人たちにとっては、単に無意味な感情論ですから)

・寄生した女性を訪ねてきた母親に、顔を見た瞬間に自分の娘でないことに気付かれて、その母親を殺した寄生獣が、なぜ見破られたのかを不思議に思っていう言葉:なぜ見やぶられたのだ……それもかなりの短時間に……(中略)わからん……この中年女に特別な能力があったとも思えん。(それを普通「愛」と呼ぶのですが、ある種の人にとっては、あ、ちがった寄生獣にとっては、「合理」と「能力」以外のものは無価値なので、理解できないのですね)

・で、3巻までの中で私が一番印象的だったのは、ミギ―のかけらが全身に散らばって、だんだん変っていく新一が、車にはねられた瀕死の子犬を公園で抱いていてやるところ。でも心臓が止まった瞬間にすっと興味をなくし、無造作につまみ上げてごみ箱に投げ捨てるシーン。かわいそうだと恋人の女の子に責められて「かわいそうったって……死んでるんだぜ?」「だって……だからって……」「もう死んだんだよ……死んだイヌはイヌじゃない。イヌの形をした肉だ」(もう死んだから、死んだ人は人じゃない、とは、なかなか思えないのが人の情というものなんだけど、情は合理的でないですから、死んだらもう肉だとか資源だと捉えるのが正しい合理性というものですよね)