日本生命倫理学会の会長が説明する「米国の事前指示書署名と倫理相談制度」の不思議

一昨日のSingerの障害新生児安楽死正当化エントリーにいただいたコメントから
ずっと頭にひっかかったまま放置していたことを思い出したので。

日本生命倫理学会会長の木村利人氏が「介護保険情報」8月号の
リハビリテーション2020」シリーズで
全国老人保健施設協会の川合秀治会長と対談している。

木村氏は
1980年代の日本にインフォームドコンセント(IC)の言葉と概念を紹介・導入した人物で、
対談の前半でも、医療現場の意識を「サインさせる」というICの形だけで留まらせず、
患者主体の医療という本来の理念として浸透なければ、と語る。

そして、
「患者や利用者が持っている希望、価値観や人生観に沿っていのちを支えていくんだ、
ということを中心に据えて行かないと、日本の医療も介護も展望が開けないと思います」
という発言に続いて、次のように語っている。

アメリカではメディケアという65歳以上の高齢者を対象として医療保険制度がありますが、病院に入院するときには無用な延命治療はしないでほしいとか、最後まで延命治療をしてほしいとか、臓器提供の意思の有無などについて、患者が自己決定して法律上の文書にサインするシステムになっています。患者の意思を尊重すると同時に、過剰な医療を提供せずに生きる可能性のある方に医療費を使うという趣旨もあります。そうした点、アメリカはドライですからね。

この制度に伴い、患者の権利の擁護やバイオエシックス的な問題について相談することのできる専門家が病院に配置されていて、彼らはメディカルな部分に関わる職種とは関係なく、院長直結で倫理上のさまざまな問題について、患者の側に立って意見を述べることができます。こういうメディカルでないことを幅広く相談できる人が病院にいることが、病院を訪れるさまざまな人にとって非常に大切なリソースになっているのです。私はこういうシステムやバイオエシックスの専門家が日本にも必要だと思っています。

日本では、死について話題にすることがタブーとされる雰囲気が強いのですが、最期までいのちを大切にするためにも、私たちは自分の死についてイメージし、意思表示しておく必要があるのではないかと思います。国際的な潮流としてはアドバンス・ディレクティブ(末期ケアのための事前指示文書)、日本でいうところのリビング・ウィルもその1つの文書として普及しつつあります。
(p. 33-34)

介護保険情報」2010年8月号 
シリーズ「リハビリテーション2020」第5回


ここのところを読んで、わわわわっ……と疑問が頭に沸いてきた。
例えば、

① メディケアは州ごとに運用されているんだったと思うので、
入院する人に対する意思確認システムも州ごとに違うのではないかと思うのだけど、
こういう言い方だと全米でシステム化されているように聞こえてしまう。
はたしてメディケアで入院すると全米でそういうことになっているのか?
それとも、そういう州が多い、という話に過ぎないのか。
それなら、そういう州はどの程度の割合に及んでいるのか。

(まさか、65歳以上でメディケアだったら、病気や治療の内容を問わず
入院時に終末期医療に関する意思表示を求められる……んですか?

たとえば、ただの肺炎で入院することになって指示書の用紙を出されて
「無益な延命はいらない」にチェックしたりしたら、それって、怖いこと、ない?)

② なんだって臓器提供意思の確認を?
 65歳以上の高齢者でも臓器提供の対象になるのか。
 元気だったら、なるのかなぁ……。

③ 「過剰な医療を提供せずに、生きる可能性のある方に医療費を使うという趣旨」が
ドライな米国の医療現場と患者サイドの共有認識になっているように聞こえるけれど、
まさに、それこそが米国の医療倫理の議論になっている点であり、それならば、
その「趣旨」はまだ「米国ではあります」と言える段階ではないのでは?

④ 65歳以上を対象にしたメディケアのシステムの話であることを前提に
「生きる可能性のある方に医療費を使う」という表現が意味することとは具体的には?

⑤ それらを総合すると、木村氏の上記第一段落の発言が読者に与えるイメージは
アメリカはドライだから、高齢者の公費での入院には
終末期医療に意思表示が義務付けられているんだな、
それは、治療しても死ぬのが分かっている高齢患者よりも
若くて生きられる患者に医療費を回すためという趣旨の制度なんだな」
というものにならないか。それは本当に事実に沿ったイメージなのか。

⑥ 上記第2段落は「こういうシステムやバイオエシックスの専門家」と言っている以上、
私は倫理カウンセラーとか委員会など、いわゆる病院内倫理相談制度のことだと思うのだけど、
「この制度に伴い」と前段落を受けて話が始められているので、文脈上、
高齢者に事前指示が義務付けられるシステムを支える専門家として、
倫理相談システムが配置されているという説明になる。

ここで木村氏が言っているのが病院内倫理相談制度のことであるとしたら、
制度の目的の点からも、あり方や機能のし方の点からも、この説明では正確ではないのでは?



もちろん私は何の専門家でもないので、
日本生命倫理学会の会長さんの知識を疑うわけではありません。

私の知識が足りないのだと思うので、
どなたか、ご教示いただけると幸いです。

そうでなければ、
日本の生命倫理学者の中にも、米国の生命倫理学者と同じく、
いろんな思惑で動いている人がいるんだろうなぁ……と、
私はあれこれ余計なことを考えそうなので。


ちなみに、去年の脳死臓器移植法改正議論以来、
医療の問題で「国際的にはこれがスタンダード」みたいな話が出てくると、
なんとなく眉毛のあたりがモゾモゾして口にツバが沸いてくるのが習い性になってしまったので、
上記第3段落の木村氏の発言を機に、米国での事前指示書の普及状況を
当ブログが拾った限りで振り返ってみた。

2010年4月2日の補遺で拾ったこちらのニュースによると、
事前指示書がにわかにクローズアップされた05年のシャイボ事件の後、
書いている米国人の割合は変っていない。つまり、この5年間で増えていない。
(この記事には割合そのものは出ていません)

2009年11月19日の補遺 で拾ったこちらのニュースは、
WI州に、死にゆく成人患者のほとんどが事前指示書を書いている町があるという話。

この中に、指示書を書かせるために病院の様々な職種が総動員されて、
その仕事分はメディケアでカネにならない余分の負担だけど、
余分な治療の削減分で十分に元が取れる、という下りがある。
でも、それがニュースになるなら、やはりレアケースということで、
それなら、メディケアで入院する際に指示書を書かせるのが米国ではデフォルトとして
システム化されているかのような木村氏の発言は……?

2009年11月14日の補遺で拾ったAP電の記事は
米国人の多くは事前指示書を書いていないが、
書いた方が良い死に方をさせてもらえるし、
多くの人が緩和ケアを選べばメディケアの節約にもなる、と
呼びかけていた。

ということは、
「(高齢者には)過剰な医療を提供せずに、
(高齢者にかかる医療費を節約し)生きる可能性のある方に医療費を使うという趣旨」は
アメリカでは「ドライですから」「そういう趣旨もあります」というほど
既に定着しているわけではなくて、

むしろ、米国では国民に対して、
そういうことを考えろと、さかんに働きかけが行われている、という現状なのでは?

じゃぁ、もしかして、その働きかけが、
ドライな米国ではストレートな言語で明示的に行われていて、
論理的に国民を説得しようとされているのに対して、

ドライでない日本では、あまり正確ではない説明でもって、なんとなく
「日本は遅れているから“国際的なスタンダード”に追いつかなくちゃ」という
雰囲気で国民をノセて、そのまま流していこうとされている……とか?