「Kevorkianだってすんなり起訴されなかったんだから医師は安全。障害新生児に“無益な治療”はするな」と説くFost

シアトルこども病院トルーマン・カッツ生命倫理センターの
今年の生命倫理カンファ

テーマは周産期の倫理問題です。
別の表現をすると、障害新生児への“無益な治療”。

先日、第一日目のJohn Lantos講演を聞き、
その一部についてエントリーにまとめましたが、

今度はLantos医師を含む第一日目午前のスピーカーによるパネルを聞いてみました。

Lantos医師とFost医師以外の4人は顔も名前も分からない状態で聞いたので、
どうかな、と思っていたら、そんなのは全く関係なかったです。
それどころか、Lantos医師さえ、ほとんど、どーでもよくなるくらい、
つまりは、やっぱり Norman Fost医師が、ぶっちぎりで過激だったのでした。

実はFost医師はこの日、Lantos医師の前に、
プログラムのトップバッターとして講演しています。

タイトルは、
“Whatever Happened to Baby Doe? The Transformation from Under-treatment to Over-treatment.”


2007年のカンファでの講演とパネルとで、Fost医師は

「障害児への“無益な治療”はするな。裁判所など無視しろ。
米国で医師がライアビリティを問われたことはない。
安心して法律を無視し、医療のことは医師が決めろ。
せいぜい地域の人を2人も入れて倫理委員会の手続きを踏んでいれば
モンクはないはずだ」と

会場の小児科医らに向かって、檄を飛ばしていましたから、
(詳細エントリーは文末にリンク)

今年も「ベビー・ドゥ規則」批判で
大筋では3年前と同じ主張を繰り返したものと想像されます。

「想像される」というのは、
他のすべて人の講演はWebcastで聴けるようになっているのに
Fost医師のこの講演だけはWebcastが存在しないからです。

2007年にも クリスチャン・サイエンスを攻撃したらしいFost講演だけはWebcast不在でしたが
もともと差別的・挑戦的なものの言い方の多い人なので、
今回も記録として残すことがはばかられるような発言が
あったのではないかと想像されます。

パネルでの発言も相当なもので、
他のスピーカーたちもいろいろ発言したというのに、
聞き終えて、頭の中に反響しているのは、Fost発言のみ……。

会場からのQと、AとしてのFost医師の発言内容をかいつまんで、以下に。

(私は聞き取り能力が非常に低いので、言葉通りではありません。
聞きとれないところは無視しています。
こまかい点で聞き間違いもあるかもしれませんが、あしからず)

Q:倫理委は訴訟リスクと、訴訟の際の敗北リスクを減らすと言っていたが、エビデンスは?

A:倫理委で検討したという事実があれば、決定が慎重に行われたという証拠になる。州判事向けの本の中にも、倫理委の検討は適切なプロセスを踏んだ証拠として扱われている。倫理委を開いていれば、少なくとも怠慢を問われることはない。

(その倫理委に政治的ぜい弱性があることを証明しているのがAshley事件だし、
Lantos医師も不透明性や手続きの基準と説明責任の不在を指摘しています)

Q:トリソミー13でBSD(心臓疾患。比較的簡単な手術を要する)があるケースで、実際にはどう考えているのか、とのLantos医師向けの問いから、スピーカーらの議論になったところで、Fost医師が発言して、

A:それはコストの問題。みんながやってほしいという医療を全部できれば、それに越したことはないわけだが、そんなことをしていたら医療費がGNPのどれほどの割合まで行くと思うのか。必要で効果のある治療ならともかく、そうでないものは、親がやりたがろうと医師がやりたがろうと、成人患者や家族がやりたがろうと、そろそろNoと言わなければ。
(会場から拍手)

Q:Fost医師は講演で、裁判所を恐れる必要はないと言っていたが、それほど話は単純ではない。司法の介入で「これを差し控えるなら殺人とみなす」と言われたら、やらざるを得ない。「救命さえすれば安全」と聞いたこともある。

(などの質問や、スピーカーの間での議論から、これ以降のFost医師の発言趣旨を以下にまとめると)

A:確かに、脅威は大きいが、最終的には恐れるに当たらない。米国で医師が治療をしなかったからといって、有罪になることはありえない。証拠がほしいかね。じゃぁ、Kevorkian医師を考えてみるがいい。自殺装置を作って何百人も殺したというのに、問題視されるたびに不起訴になったじゃないか。検察は「別に。 We don’t care」と言い続けたんだよ。彼は起訴されたいあまり、患者を殺すところを自らビデオに撮ることまでした。医師が起訴されるためには、それほど壮絶な努力を要するのだ。

ベビー・ドゥ規則だって、レーガン大統領は別に障害児の命を守ろうとして作ったわけじゃない。政治的な配慮という奴だ。医療の倫理は政治とは別物。「良い倫理」は「良い事実」と共にあるのだよ。ダウン症の子どものQOLについては、家族と共に暮らす美談神話が邪魔して、こういう子どもたちが家族にとってどんな悲惨となるかが見えなくなっている。そういう事実もちゃんと含めた倫理カウンセリングができれば、医療における「良い倫理」になる。


それにつけても、去年、Fostの弟子のDiekema医師が書いた
小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」ガイドライン
ベビー・ドゥ規則にのっとって作られた児童虐待防止法を堂々と否定していたことが、
改めて、重い意味を持って、思い返されます……。

Norman Fost という生命倫理学者は日本ではノーマークのようですが、

当ブログではAshley事件の陰の立役者であるとにらんでいるのみならず、
科学とテクノのイデオロギー装置としての生命倫理を先導する
危険極まりない人物として重要視し、追いかけてきました。

特に障害新生児関連では、最強の”無益な治療”論者。
障害児に対する差別意識も、Ashley事件に見られるように、ダントツの最強です。

Fostに関しては、大まかなところはこちらのエントリーあたりから入ってもらうと、
そこから、あれこれへ行けると思います。


2007年のFost講演については