米国のプライバシー権を確立したGriswold事件から断種法へ 2

前のエントリーの続きです)

④ もう1つ、非常に興味深いのがソドミー禁止法

米国の多くの州は
獣姦、ソドミー、オーラルセックス、同性愛を犯罪とする州法を定めている。

その後、オーラルセックスはコモン・ローで合法とされたが
いくつかの州では肛門性交以外にも禁止対象とする広範なソドミー法が存在する。

公衆トイレにおける同性愛者のソドミー行為を巡る裁判や
妻が夫をソドミーで訴えた訴訟などが続いて、その違憲性が問われ、

テキサス州のBuchanan判決によって、
婚姻関係を問わず、①成人間の ②合意に基づく ③私的な ④性的行為 であれば
憲法上保護されると、グリズウォルド判決のプライバシー権が拡大された。

(判決がいつだったのか論文からは分からず、検索してもすぐには出てこないのですが、
2003年段階でのソドミー法について触れた日本語記事があったので、こちらに。
実効はともかく現在もあるし、現在の同性婚を巡る議論に繋がっているわけですね)


Roe v. Wade

子どもを産むか産まないかを選択する権利を
修正9条によって保障されたプライバシー権として認めた、1973年の有名な判決

憲法に明文として規定されていないとしても
その根拠が修正14条の「自由」にあるか、修正9条にあるかを問わず、
プライバシー権憲法上の権利であり、基本的な権利であること、

そこに婚姻、出産、避妊、家族関係、育児、教育などが含まれることを確認した。

州が介入するには、
妊婦の健康保護、潜在的生命の保護という
「やむを得ざる州の関心事」によってのみ許される。


断種 (sterilization)

目的で分類して、著者は以下の4種類を挙げる。

1. 犯罪処罰としての断種
2. 治療としての断種
3. 優生学的見地からの断種
4. 避妊の徹底したものとしての断種

特に3、と4についてみていくと、

3の優生施策としては、

1907年のインディアナ州の断種法が米国で最初。
執行されることはまれだったが、

その後、有名なBuck v. Bell判決で
ヴァージニア州の断種法を巡り連邦最高裁
「痴愚は3代続けば十分」と、合憲と判断。

この論文が書かれた1974年現在、
半数以上の州が優生学的見地に立つ断種法を持っているが
(Spitzibara注記:北欧でも70年代半ばまで強制不妊手術が行われていた)
医学的実効性や誤診、人権上の懸念から執行に躊躇する州が多く、

筆者は、強制的優生手術が
身体の不可侵性もしくは幸福追求権としてのプライバシー権を侵害する可能性、
出産の権利を強制的に奪う可能性を指摘しており、
日本の優生保護法3条についても同様とする。

最も問題になるのは4の「避妊の徹底したものとしての断種」または「便宜的断種」。

コモン・ローでは、自己の身体を傷つける行為には
何人も有効な同意を与えることはできないとされてきたが、
70年代ですら美容整形を持ち出して著者は、その主張の根拠を疑っている。

(もっとも論文の基本的なスタンスは、
功利主義の考え方で道徳と法規制との間に一線を画する
米国のプライバシー権の考え方を紹介し、必ずしも同じとはいかずとも
日本でも検討すべきだと暗に提言するもの)

断種は、避妊と中絶の中間的なところにあって、
やはりプライバシー権に含まれるのではないかと暫定的に提案しながら
著者が最後までこだわっているのは「不可逆性」と「他人への危害の蓋然性」。

一律に州法で禁じるのはプライバシー権の侵害であるとし、
便宜的断種については個別に判定するほかないだろう、と結論している。

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Ashleyの子宮摘出は、著者の分類のいずれにも当てはまらない。
強いて言えば、最後の「便宜的断種」に最も近いだろうと思うので、
ここの議論が私にとっては最も興味深いところ。

ただ、論文そのものが70年代に書かれたものであることを考えると、
Quelette論文が指摘したように、“Ashley療法”でもって、
新たな分類としての強制不妊が登場したと考えるべきなのでしょう。

それはまた、
この論文が書かれた頃には想像もつかなかった科学とテクノロジーの進歩を経て
米国のプライバシー権が、さらに大きく、危ういほど
拡大しようとしていることを示唆してもいる――。

やはりAshley事件は、何重にも象徴的な事件です。