NZで脳出血後遺症の重症障害女性が栄養と水分を拒否して自殺

3月25日の補遺で拾ったニュージーランドのニュースで、
死にたいと望んで栄養と水分を拒否していた女性 Margaret Pageさんは
その後、3月30日に亡くなっていました。

(3月25日のニュースではPageさんは20歳となっていたのですが、
こちらの記事では20年前に脳出血を起こしたとのことなので、いずれかの情報が誤りと思われます)

そのPageさんのケースが安楽死ロビーの Lesley Martinによって利用されていることに
疑問を呈するカトリック系のサイトの記事。

Pageさんのケースで起こったメディアの論争は
犯罪法が強制的な自殺防止を認めている反面、
権利章典法(? the Bill of Rights Act)は医療を拒否する権利を認めている点を巡るもの。

カトリックの教えでは、
栄養と水分の供給は治療ではなく、基本的なケアとみなされるため、
患者自身が拒んだとしても、供給し続けるのが医療の義務となる。

そこで、この記事でMcCabe神父が指摘するのは、
Pageさんは20年前に起こした脳出血の後遺症で重度の障害があったものの
栄養と水分を拒否すると決めた際にターミナルな状態ではなかった事実。

続いて、この度の安楽死議論でコメントしている多くの人が、
その事実を見過ごしていることも指摘する。

Pageさんの生前、Pageさんの家族から連絡を受けたとMartinさんは言うが、
これまでは、ターミナルな状態の人が尊厳のある死を望む場合に
安楽死を合法化しようと運動してきたはずのMartinさんは、
いまでは事実上「死にたければ誰でも」と運動しているではないか、

これこそ安楽死の合法化で「すべり坂」が起こる証拠である。

Martinさんは「高齢者が自殺しやすいようにしましょう」というが、
高齢者チャリティによると、高齢者の自殺の背景には、
診断されず治療されていないウツ病が多く潜んでいるということであり、

合法化されれば、それは高齢者を攻撃するものとなる、
高齢者に対して「あなたたちは人生をもう生き終えて価値がない」というようなものだ、

必要なのは、そういう人たちが自殺しやすくすることではなく、
終末期のニーズにきちんと応えていくこと、
孤立している高齢者に手を差し伸べることだ、と。


これは、7日に米国のカトリック系の病院が主張していた
「ターミナルでなければ栄養と水分停止は自殺幇助」と同じ主張のようですね。

ターミナルな人に限っては栄養と水分の供給を拒否する自己決定を認めるけれども、
そうでない人の場合には基本的なケアとして中止はしない、できない、と。

ちなみに、Lesley Martinさんとは、
1999年に末期がんの母親に致死量のモルヒネを投与して安楽死させ、
有罪判決を受けて服役した後に、その体験を本に書いて
自ら選ぶ安楽死の合法化を提唱している女性。

詳細はこちらのエントリーの後半に。