うちのミュウと、カナダのIsaiah君と

夕方、ミュウを施設に迎えにいってくれた父親が帰ってくるなり
「ミュウと、これはお母さんに話さないと……といいながら帰ってきた」といって
聞かせてくれた話――。

ミュウを車椅子に乗せて出口に向かっていると、
廊下で、ずっと昔から馴染みのスタッフAさんとばったり出くわした。
すると、父親がろくに挨拶もできないうちに、
ミュウがAさんに向かって大騒ぎで何かをしきりに訴え始めた。

日ごろはとってもアバウトな指差しが、
珍しく力が入って、きっぱり「ひとつ」の指で廊下の壁を指している。

「ああ、ミュウちゃん、ここの写真のことを言っているのね」と、Aさん。

「この前、“たっちゃんの成人を祝う会”をやったんです。
お父さんに、たっちゃんの晴れ姿を見てあげてって言ってたんだね。
やっぱり一緒に暮らしている仲間だからね。えらいね、ミュウちゃん」

……と、Aさんが笑顔を振り向けた時の娘の顔を見て、
父親は「……ちがう……かも?」と思った。

なんとなく、娘が言いたかったのは別のことだったような気がしたが、
とりあえずAさんに誘われるままミュウの車椅子を押して壁際に寄り、
ずらりと貼られた“たっちゃんの成人を祝う会”の写真を眺めた。

小さい頃からずっと見知ってきただけに、
いつの間にかオッサンじみた顔つきになった
たっちゃんのスーツ姿にはそれなりに感慨がある……と、

スーツでびしっとキメた、たっちゃんと並んで、へろっと笑っているのは……
「あれ? ミュウじゃん、これ」と思わず指差すと、

Aさんが、「そう、そう……そうでしたぁ」と思い出して、
「この時みんなに『たっちゃんと並んで写真を撮りたい人ぉ?』と聞いたら、
まっ先にミュウちゃんが、さっと手を挙げて。それで、このツーショットに」

「ほぉ……」と娘を見ると、
娘の目は「えへへ」と、ニヤついていた。

Aさんは、まだ気づいていないようだったけど、
ミュウが大騒ぎで写真を指差していたのは
「あたしの写真。あたしの写真が、あそこにあるでしょ。
Aさん、ほら、あたしの写真、お父さんに見せてよ」と言っていたわけで、

やっぱ、「たっちゃんの晴れ姿を見てあげて」のわきゃ、ないわなぁ……

……と、父が語り、それに母が大ウケするのを、
ミュウは照れくさそうな、でも、ちょっと得意そうな目つきで眺めていた。


       ―――――

ウチの娘は重症重複障害があり、寝たきりで言葉がない。

だけど、この子は小さい頃から「言葉がなくったって、
私は言いたいことは、ちゃんと言うんだもんねー」という顔をしていた。

もちろん、重症児のことを何も知らない人がウチの子を見たら
「どうせ何も分からない子」と思うのだろう。

重症児医療を専門にしている医師の中にだって
そう思い込んでいる人がいる。

園のスタッフの中にも、そう思い込んでいる人はいる。

そういう人は、でも、子どもたちにちゃんと見抜かれている。

そういう人は、Aさんのように何かを必死で訴えられたりしない。
だから、そういう人は、また、いつまで経っても気づいてくれないのでもあるけれど、

ウチの子は、言葉はなくても、とても雄弁です。
知能は大幅に遅れているけれど、自己主張のための工夫もすれば、知恵も使います。

だって、重い障害を持ちながら、もう22年も
いろんな体験をしながら生きてきたのだもの――。

もしかしたら、あなたや私と同じ分かり方ではないかもしれないけれど、
ミュウはミュウなりの分かり方で、とても多くのことを分かっています。

それをミュウなりのやり方で、あなたに告げることができます。

そして、ミュウがミュウであって、ミュウでしかないところの何かを
あなたに手渡すことができます。

あなたさえ、受け入れる感受性をもって彼女に接してくれれば――。



こんなウチの娘は、22年前に生まれたとき、
出生時の無酸素状態が長くて重症の仮死状態で生まれ、
呼吸器をつけてNICUの保育器に入っていました。

ちょうど今、カナダAlbertaの病院のNICUで呼吸器をはずされようとしている
あのIsaiah君とまったく同じように――。