この前、耳鼻科で考えたこと

この前、近所の耳鼻科に行った。

ちょっと年配の医師だけど、割と言いたいことが言えて、
打てば響く……といった感じのテンポよい反応をしてくれるので、
私はどちらかというと、この先生のファン。

ただ、この医院で戸惑うのは、今時めずらしく、
一度に数人を診察室に招きいれるシステムが残っていること。

その日は空いていたので、
呼ばれて中に入ったのは4歳くらいの子どもと付き添いのお母さん、そして私。
あちらが先だったので、私は診察台の真後ろの壁際にあるソファに座る。

特に意識して聞いたわけではないから、
お母さんがその日なぜ子どもを連れてきたか最初の話はよく分からなかったのだけど
ちょっと前に大きな病院でアデノイドの手術をしたのだとお母さんが説明し、
子どもの耳だか鼻だか喉だかを覗き込みながら先生が早口に、
「そこの病院でフロモックスが出ているでしょ。まだある?」

するとお母さんは、ちょっと納得できないふうで、
「ありますけど……フロモックスって、風邪薬ですよね……」

先生は子どもの耳だか鼻だか喉だかを処置しながら早口に
「いや、抗生剤。まだ、残ってる?」

「はぁ……」
「それ、ちゃんと飲ませてね。まだしばらくは飲まないといけないから。
なくなったら必ず来て。追加を出すからね」

「……はい」
「よし。じゃぁ、いいよ。終わり」

ガシャンと器具を置いて診察台から離れた瞬間に、
お母さんが小さな声でつぶやいたのは、先生には聞こえなかったかもしれない。
「へぇ……風邪薬を飲むんですかぁ……」

怪訝そうに頭を転がしながら
子どもの手を引いて出て行く後姿を見て、
私は追いかけていって「抗生剤」を説明してあげたい気分になった。

もちろん、説明してあげたところで、
ただのオバサンのおせっかいなど信じないと思うから、行かなかったけど。

でも、うぇぇ。あぶな~い。テンポ、良すぎるよ、それは。
このお母さん、ちゃんと飲ませないかもしれないよ、先生……と、
ソファから念力だけは送ってみた。

たぶん、前に子どもが気管支炎でもやった時にフロモックスを処方されたことがあって
だから「フロモックスというのは風邪薬」だと、この人は思い込んでいる。

たぶん、アデノイドの手術後に処方した医師も
それが何で、何のために処方されたかという説明をちゃんとしなかったんだろうし。

「いや、抗生剤」と言ったから、先生はそれで説明したつもりかもしれないけど、
予め知らない単語は耳が把握できない点では外国語と同じで、
彼女の耳には「イヤコーセーザイ」という
意味不明な一瞬の音として通過してしまった。

だから、「なくなったら追加して、まだ飲まないといけない」という先生の説明で
「へぇ、風邪薬を……」とつぶやいている、この人の頭の中にあるのが、
「アデノイドの手術をしたら風邪薬を飲むものなのかしら……」なら、まだいいけど、
「じゃぁ、まだこの子の風邪は治っていないのかしら……」だったり
「まだ風邪薬を飲ませろなんて、ヤブなのかしら……」だったら、
勝手に風邪は治ったと判断したら飲ませないどころか、
なくなっても先生のところには来ないかもしれないよ……。

──でも、もちろん私の念力は届かなくて、「はい、次。Spitzibaraさん」。

「……あ。は~い」

         ――――――――

私に、このお母さんの心の内が読めたのは
私たち障害児の親が、このお母さんと同じように何も知らないところからスタートして、
子どもを通じてイヤというほど様々な医療体験を繰り返しながら、
経験則で知識を身につけてきた長いプロセスがあるからなのかもしれない。

でも私たち医療との付き合いの長い“障害児の親”から見ると、
目の前の患者にどこまで知識があるか、どこを分かっていないか、くらいは
ちゃんと相手の言動を観察していれば簡単に把握できることのような気がするし、

それをきちんと把握した上で要点を押さえた説明をすることは
それほど難しいことでも時間のかかることでもないような気がする。

フロモックスは風邪薬ではなく抗生剤で、抗生剤とは細菌を殺す薬で、
手術後に起きやすい細菌感染を予防するために出ているのだから、
一定期間ずっと飲み続けることが大切なのだというところまで説明してあげて
相手がちゃんと了解したことを確認する──。

ほんのちょっとだけ手を止めて、お母さんと向き合って、
わずか1分か2分で済むことなんだけどなぁ。

そして、ここで、誰かに説明してもらって、それだけの知識を身につけることは、
このお母さんが手術後の娘を適切にケアしていくためにも、
たぶん、それ以後の子育て全般にとっても、
ものすごく大きなエンパワメントなのだけどなぁ。


子どものおかげで散々いろいろ体験させてもらってきたから、
私たち重症児の親は、抗生剤が何かということを知っているし、
抗生剤を含めて、あれやこれやの薬の名前と作用・副作用にも、ある程度は通じている。。

CRPや白血球の数値は、どのくらいから顔色を変えるべきか、
抗生剤は、痙攣止めの座薬は、解熱の座薬は、吸入器用のベネトリンは、点滴は、
それから、知っていること自体がちょっと悲しいけど、ガンマ・グロブリンまで、
子どもがどういう状態になったら医師に求めることを考え始めるべきか、
自分なりの経験則基準もある。

抗けいれん薬に至っては、教科書的な有効血中濃度とは全く別に
我が子の有効血中濃度閾値を知っている親だって少なくないはずだ。

もちろん、インターネットがない時代に子育てをした私たちが
それらの知識を身につけてきたのは、体験によるだけではなくて、
ほんの1、2分、よけいに時間と手間をかけて説明してくれる誰かが
私たちがたどってきた道筋の時々に、ちゃんといてくれたからだ。

ウチの娘の主治医は、脳波検査のたびに丁寧に指差し説明してくれる人だったから、
私は、いつのまにか、検査用紙を目の前に開かれた瞬間に、
脳波の「表情」を感じられるようになった。

もちろん「脳波が読める」わけではない。
でも、いい状態の時の脳波は穏やかで優しい顔つきをしている。
まるで不協和音だらけの音楽を思わせる凶悪な顔つきの時もあった。

私の頭の中には娘の脳波がたどってきた”顔つき”の変遷がインプットされていて、
それは、今この一回だけ娘の脳波を読もうとする医師には持つことのできない
かけがえのない「ウチの娘の脳波に関する理解力」だと私は思っている。

それが何の役に立つというわけのものではないけど
そのことはミュウの親としての私に自信を与えてくれる。

なによりも、そういうことを振り返る時に、
重い障害のある子の親として私をここまで育ててくれた医師との出会いと
私がある段階まで育ってからは、それだけ扱いにくくもなった私を
ミュウの医療に関するチームの一員として扱い、尊重してもらったことに
改めて感謝したい気持ちになる。

そして、その感謝の思いは、
ともすれば医療への不信に傾いてしまいそうな私が
それでもどこかで医療への信頼と希望をつなぐことをも支えてくれる。

誰かが、手を止め、ちゃんと向かい合って「これはね……」と指差し説明してくれるというのは、
その人が自分を子どもの責任者として尊重してくれているということだ。

だからこそ、その数分間が変えてくれることは、とても大きい。

ほんのちょっとの観察とほんのわずかな時間の説明が積み重ねられて、
患者や親や介護者はエンパワーされ、その時々に適切な判断をする能力を培っていく。

そして、その判断力と自信が
「今すぐに病院に連れて行かなくても大丈夫」と判断する余裕につながる。

患者や家族の観察眼と、ちょっと説明する労を惜しまない小まめさを身につけた医師が増えることが、
たぶん、コンビニ受診モンスター患者を減らすことにも
どこかで通じていくんじゃないだろうか、という気がする──。