「一身専属事項の臓器提供に成年後見人は権限なし」から疑問あれこれ

昨日、重症障害ある娘に健康保険証兼ドナーカードって……?のエントリーで
成年後見人には権限がないらしいという話を曖昧な伝聞として書いたのですが、
この点について確認しました。

やはり、
臓器提供は一身専属事項に当たるので
成年後見人には権限がありませんでした。

こちらのサイトから成年後見人について書かれた部分を以下に。

精神上の障害により常態として判断能力を欠く者を対象とし、成年後見人は広範囲な代理権と取消権を有します。しかし、日常生活に関する行為に関しては取消ができないことや遺言・婚姻などの身分行為、治療行為などの事実行為に関する同意といった一身専属的な事項については同意・取消はできません。

一身専属的事項というのは
要するに、その人にしか決めることが出来ない事柄。

娘の臓器提供に関する成年後見人である父親の権限のなさについては
これで氷解・納得したのですが、今度は別の疑問がワラワラと沸いてきた。

① じゃぁ、自分で意思決定できにくい人の臓器移植については誰がどう決めるの?
新法でも、ちゃんとしたセーフガードを設けてくれなければ困るのだけど?

② 臓器提供が法的に一身専属事項だというなら、
それは知的障害者等だけのことではなのだから、
A案だって、そもそも法的に、ありえなかったはずじゃないんだろうか――?

③ これを当てはめて考えると、いま欧米で主張されている「死の自己決定権」は
 「いつ、どのように死ぬかは一身専属事項である」という主張だということになる?

 (そういえば、前にアベコベ」のエントリーで「それは逆でしょう」と書いたことがある)

④ でも、それなら逆に、Ashley事件ほかで散々聞いた
「子どもの医療に関する親の決定権はプライバシー権の範囲」という主張は
成立しないはずだということにならない?

⑤ ある意味、「一身専属事項」とは「日本版プライバシー権」と理解してもいいのか?
 そう単純に考えていはいけないのか? 

⑥ 障害のために自分で決めることができない人の医療に関する意思決定の問題は
 臓器移植以外にもいっぱいあって、むしろそちらの方が切実な問題のはず。

 成年後見人が何の権限も持たないとしたら、そういう人の医療の意思決定には
日本では、どういう理念とか手順とかセーフガードが合意されているのか?

まさか、未だにパターナリズム一辺倒ということはないと思うのだけど、
今は、どういうふうに決められているのだろう?

なんとなく、家族の同意──?

でも、成年後見人は同意も取り消しも出来ない(なんで拒否がここにないのだろう?)けど、
家族なら決めてもいいことになるというのも、筋が通っているようで
よく考えたら、ちっとも通っていないこと、ない──?

そして、目下、一番気にかかっているのは
親も身寄りもない知的障害者の医療決定は──?

よもや、ルールなんてなくて、ルールの必要性すら言われていない……なんてことは?

なにしろ、知的障害児・者への医療は
本人が症状を訴えるすべを持たなかったり、医療サイドに強い偏見があったりして、

親がしっかり側に付いて必死の思いで本人のために闘ったとしても、
おざなりにされる傾向があるのだから、
(私の個人的体験も含め、詳細は、以下のリンクに)

親亡き後の彼らの医療決定については
たまたま偏見に満ちた医師だったから無用に苦しまされたとか、
死ななくてもいい病気で死んでしまったということがないように、

ちゃんと信頼できるガイドラインがほしい。



【追記 9月3日】

これを書いた直後に、認知症の専門医が同じ問題を取り上げておられる雑誌記事を見つけたので、
追加エントリーを書きました。