「納棺夫日記」と吉村昭の最期

遅ればせながら「納棺夫日記」(文春文庫 増補改訂)を読んだ。
今考えているあれこれとの関連で、あちこち興味深かった。

「みぞれ」に当たる言葉が英語にはないという話で、

……要するに英語圏では、みぞれのような雨でもなければ雪でもないといったあいまいな事象は用語として定着しなかったのであろう。刻々と変化してゆく現象を言葉としてとらえることは、英語圏の人の苦手とするところである。
 そのことは生死をとらえるときにも同じことが言える。西洋の思想では、生か死であって〈生死〉というとらえ方はない。(P.38)

 しかし、〈生〉にのみ価値を置く今日の我々は、自分だけは変わらないとする我執のため、この〈無常〉という言葉も死語に近い状態となっている。(p.45)

 科学が、宇宙や生命の謎を解き明かそうとしている時代に、霊魂を信じるアニミズムが数千年まえと変わりなく人々の心に巣くっている。そのことは、迷信や俗信の裏に霊魂の実在を信じる人間の自我が、絶ちがたく存在しているということにほかならない。(p.83)


著者の青木新門氏は、第3章で、
自分が納棺夫として死と向き合う中でウジのような小さな生命の上に見た〈ひかり〉を
臨死体験者が見た〈ひかり〉や、親鸞が不可思議光と名づけた〈ひかり〉と重ね合わせて、
深い思索を行っているのですが、
その〈ひかり〉をめぐって、

まず生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。
この光に出会うと、おのずからそうなるのである。(P.102)

源信法然明恵道元、一遍、親鸞、これら高僧たちはおしなべて、十歳未満で父母との別離に出会っている。蓮如も、幼い日に母との別離があった。こうした幼い日の悲しみの光は、いつまでも残り、その人生に大きな影響を与えてゆく。(p.122)

そして生と死のせめぎ合いから生じる〈生死〉の光を浴びて、詩人たちが生まれてくる。(P.123)

──救いようもない者たちよ、みんな光の中にいるのだ。今はただ、煩悩に遮られて見えないだけである。しかし大悲(光)は永遠に輝いて、私たちを照らし続けている。だから念仏を称えていればよいのだ── (p.138、 親鸞の言葉を訳したもの)


「悲しみの光」という言葉で思い出したのは、
紀野一義さんが、たぶん「私の歎異抄」で書いていたのだと思うのだけど、

他力の心というのは、持とうと意識して持てるものではなくて、

思い通りにいかない苦しいこと悲しいことの中で長い年月の間ずうっと打ちのめされて侘びさせられて
もうこれ以上はどうにも耐えられない……と追い詰められた、ぎりぎりのところで、
つい念仏が口をついて出る……といった形で、自力の心が消えて心が他力にひるがえる――。

他力の心とは、そういうものなのだ……というようなこと。

トランスヒューマニストらが不老不死への夢を語る言葉を読んで
「ああ、これは我執ではないのか」と思ったことが何度もあり、

人はこんなふうに、ひたすら欲望をかなえていけば本当に幸福になれるのだろうか、
そんなものじゃないだろう、

欲望をただ次々に満足させていくだけでは人は本当は幸福にはなれず、
むしろ、あるところからは、その欲望を手放していくことによってしか
真に幸福を得ることはできないんじゃないのか……ということを
ずっと考えている。

自殺幇助の合法化を求める人たちの言葉にも、やはり
強烈な生への執着と自分への執着を感じて、
そういう言葉にばかり触れ続けていると、どこか息苦しくなり、
そこから逃げようとして、なのか、なんとなく、逆に、

ほどく、 ほどける
ゆるめる、 ゆるむ
解く、 解ける
離す、 離れる
開く、 開ける
ばらく、 ばらける
広げる、 広がる
ほぐす、 ほぐれる

放す
任せる
預ける
ゆだねる

……といった言葉とかイメージを求めて、
頭と心が、うろうろし始める。ような気がする。

私がそういう方向に何がしかの解を求めようとするのはやはり、
無意識のうちに仏教的な感性や日本人特有の自然観を自分のうちに取り込んでいるからなのなかぁ……
という思いも、ずっとあったのだけど、

青木氏が書いている言葉が体にも心にもしっくりと沿ってくるのも
日本人の感性ゆえなんだろうか……。


でも、そうすると、
トランスヒューマニストにはどうやら自称仏教徒が多いことが
ちょっと不可解なことのようにも思われてくるので、

そのあたりのことを、時々ぼんやり、ぐるぐる考えている。

            ―――――
 
この文庫本の序文を書いたのが吉村昭氏であり、
そもそも青木氏の書くものに最初に興味を持ったのも吉村氏だったということが
何よりも印象的だった。

吉村昭さんの小説は好きで、いくらか読んだし、
妻である津村節子さんの若いころの作品に描かれている氏の分身も
強烈な印象(特に骨だけで泳ぐ魚に魅入られる話とか)を残していて、

吉村昭という人は死に魅入られた作家だったんだと
自分の中で勝手に思い込んでいる。

その吉村氏が、青木氏が見てきた世界、青木氏から見える世界にひきつけられたのは、
なるほど至極しぜんなことだな、と感じて、
納棺夫日記」を読みながら、

自分で点滴の管を引き抜いたという吉村氏の最期のことをずっと考えていた。

(もっとも、あれは点滴を抜いた行為が
その後の死の直接的な原因となったという状況だったとも思えなくて、
そこを繋げて、あたかも氏が点滴を引き抜くことで自死したかのように
あっちでもこっちでも描かれ捉えられているのは事実と異なっている、と思うけれど)

津村節子さんがその時のことを書いた短い文章は
どこかの雑誌で読んだ記憶があるのだけど、
まとまった形で書かれた本があるなら読んでみたいと思いながら、
まだ果たせていない。

──読もう。