病院の公式合意を一医師が論文で否定できることの怪 (A事件・成長抑制論文)

Deikema&Fost の成長抑制論文
シアトル子ども病院とWPASとの合意を否定している点について、

当ブログでは、そのあたりの背景を検証してきているので、
関連情報を整理し、ひとつの仮説を立ててみたいと思います。


Ashleyケースに対するWPASの調査の終了を受けて、
子ども病院とWPASが合同記者会見を行ったのは2007年5月8日のことでした。

この段階で発表された合意とは

・今後、子ども病院は子宮摘出だけでなく乳房芽の切除、成長抑制療法についても、
 裁判所の命令なしには行わない

・裁判所の命令なしに行われないよう、明確な方針を作る

・今回のようなことが起きないように、倫理委に障害者の権利に明るい人を加えるなど、
 病院内に抑止策を設ける

などの点。

記者会見に際しては、子ども病院の medical director Dr. David Fisher名で
プレスリリースが出されて、これら合意事項について明記されています。

ところが、以下のように、その直後から非常に不思議なことが起こっているのです。


①病院がこのような公式な合意をアナウンスしたというのに、
Diekema医師は一人、記者会見当日からメディアやインターネットで、
病院の公式見解に反する発言を繰り返し、合意を認めないスタンスを取り続けました。

そう、ちょうど、今回の論文とまったく同じスタンスでした。

その発言の実際は、英語ブログの方でこちらに抜き出してあります。

この辺りのことを日本語で取り上げたエントリーはこちら。
A事件:病院記者会見の直後に堂々と相反する発言を繰り返したD医師(2009/4/7)


②病院側も実は
「裁判所の命令なしに行わないとする方針を2007年9月1日までに採択する」という
WPAS側との合意を守っていません。

「未成年の不妊手術に関する方針」は2007年11月に採択されていますが
発達障害のある患者への成長抑制介入に関する方針」は
2008年4月11日に起草されたまま、未採択となっている節があります。

この辺りの詳細については、こちら。
子ども病院はWPASとの合意を覆していた?(A事件)(2009/3/18)


③今年1月の成長抑制シンポで解説された成長抑制ワーキング・グループの議論でも、
病院とWPASの合意はまるで存在しなかったかのように丸無視されていました。

WPASのCarson弁護士がWGのメンバーに加わっているにも関わらず。


④そして、今回のDiekema&Fost論文
「障害者団体が病院にこんな合意をさせたが
あれには法的根拠がなく、医療の慣行からしても行き過ぎ。
そんな必要はない。せいぜい倫理委で検討すれば十分」と、堂々と主張。


これは一体どういうことなのでしょうか。

2007年5月8日の記者会見で
病院側は最初から嘘をつくつもりで、
その場限りの合意を発表したのでしょうか。

それはないだろう、と思います。

いくらなんでもシアトル子ども病院ほどの公共性の高い権威ある病院が
仮にも記者会見を開き、プレスリリースまで出すのだから、
あの段階では病院側は本気で合意を守るつもりだったのでしょう。

病院は、2007年5月の段階では、とりあえずWPASと合意し、
重症児に対する、いわゆる”Ashley療法”を封印することを選択したのだと思います。

そこで病院の公式見解が世間に表明された以上、普通ならば、
一職員に過ぎないD医師の立場としては黙らざるを得ないはずなのだけれど、
彼は黙るどころか、平気で病院の見解に反する発言を繰り返す。

それは、
自分の背後にAshleyの父親がいる以上、
自分が「一職員に過ぎない」以上の存在であることを
彼が十分に知っていたからではないでしょうか。

9月1日までに採択すると合意されていたはずの
「子宮摘出に関する方針」の起草は2007年10月。
「成長抑制に関する方針」の起草は翌年にずれ込んだ2008年4月。

この起草の時期の大幅なズレは、
病院内で意見の対立が起きていたことを示しているのではないでしょうか。

少なくとも起草されているのだから、病院内に採択への意思があったことは確かでしょう。
しかし、子宮摘出よりも起草が遅れたのは、成長抑制に関しては
別の意思がそれに抵抗していたためでしょうか。

その対立の結果、成長抑制に関する方針は未だに採択されていないとすれば、
すなわち、病院側が何らかの事情によって、
WPASとの合意から押し戻されてしまったということでは?

Diekema医師の思惑の通りに、
彼の背後にいる人の力の前に病院は再び屈して
政治的判断をする以外になかったのでしょうか。