未熟児を産ませず、生まれても救命しないための科学的エビデンス作りが進んでいる

例の成長抑制療法の一般化をたくらむDiekema医師らの論文が掲載されている
Pediatrics の6月号の内容一覧をなんとなく眺めていたら、

途中から、心臓がバクバクしてきた。

シアトル子ども病院がゲイツ財団やユニセフ、WHOと協働して
死産・早産の撲滅に動き出したというニュースを読んだ時に、


もしかして、この「撲滅」とは
早産になりそうな「子どもたちの撲滅」を狙う動きになるんじゃないのか……と
ものすごく、いや~な胸騒ぎがしたのだけれど、

まさか、既に、しかもこんなにも見事なほどの露骨さで
その正当化のエビデンス作りが進行しているとは思わなかった。

6月号掲載の論文だけで、以下のものがありました。
タイトルのみと、ほんのざっとアブストラクトに目を通した印象を以下に。
順不同です。著者らの詳細はリンクから。



早産の可能性が高い妊婦に前もってカウンセリングを行っておくと、結果的に無事に生まれた場合、障害が残った場合、死産になった場合のいずれにおいても、満足度が高かった。



未熟児で生まれた子どもの発達スクリーニングでは閾値を下げることにすれば、その後のケアの質が高くなる。 (Quality Improvement for Preterm Children って、ケアの質のことだよね。まさか「“子どもの質”の改良」じゃないよね。)



22-26週の超未熟児の出産可能性のある妊婦に対してカウンセリングを行っておくことの提言。



周産期医療の意思決定について、医療職、正常に生まれた子どもの親、未熟児で生まれた子どもの親という3グループの意識の違いを調べた。医療職と正常に生まれた子どもの親が「最重度の障害は死ぬよりも悪い」と考えるのに対して、未熟児の親はほとんどが「死ぬのは最重度の障害よりも悪い」と考える。さらに未熟児で生まれた子どもの親は「どんなことをしても命を助けて欲しい」と考える割合が高い。既に育てた経験のある未熟児の親をカウンセリングに参加させることで、救命をめぐる意思決定で、もっと有効なカウンセリングができるのではないか。「経験のある未熟児の親」という場合、「未熟児で障害もあるけど、こんなに成長して自分なりの人生を生きてくれています。子育ては大変だったけど、楽しいこと誇らしいこともいっぱいありましたよ」という親を連れてくるとは思えない。



未熟児が5歳になった段階で問題行動と認知パフォーマンスを調査しましょう。



アジアの子どもたちを調べたところ、出産に要した時間、出産時の体重、出産時の頭の大きさがIQの高さと関係していた。認知能力の高い子どもを産ませるためには、妊娠中のすごし方が大事。結論の最後にある This has implications for targeting early intervention and preventative programs. って、いったい何に対して何の目的で“介入”し、そして、いったい何を“予防”するというんだ????


これらが総体として指し示している言外のメッセージとは、

未熟児で生まれる子どもには問題行動が多く、頭もよくない確率が高いし、
特に超未熟児には、死ぬよりも悪い最重度の障害を負う可能性があるのだから、

早産になる可能性のある妊婦には、妊娠中に十分な“カウンセリング”を行って
できれば、障害のある未熟児を育てて苦労してきた親にもその大変さを語ってもらって、
いざという場合の意思決定を“支援”し、

「じゃぁ、中絶します」とか「救命しないでください」という
“インフォームされた自己選択・決定”を行ってもらうのが望ましい。


これ、つい先日あった、
認知症患者の終末期のビデオを見せて終末期医療の意思決定を“支援”しましょう」という
MGHのお医者さんたちが考えていることと、まったく同じですね。

それにしても、一誌の一号だけでこれだけあるのだから、
世界中で、同様の報告がどれだけ、うじゃうじゃと書かれていることか。

シアトル子ども病院とゲイツ財団のコンビが2007年に始めたキャンペーンと
この動きが無関係だとは思えない。


それから、もう1つ、ものすごく気になったのが、
すでに医療においては「重い障害を負うくらいなら死んだ方がマシ」というのが
共通認識になっているらしいこと。

それなら自殺幇助合法化議論も、何をかいわんや。

もはや「ターミナル」も「耐えがたい痛み」もおかまいなしで
自殺幇助正当化は「無益な治療」論と合体、あとは「すべり坂」ずるずる……。