それでも人は生きている

何日か前に仕事の関係の検索をしていた時にひょっこり出会って、
読むなり、鷲掴みされてしまった文章。

日々の暮らしの中で、人々は、自分ではどうしようもないことに出会う。

 選べない親、成育環境、身体条件、容貌、性格、経済状態、人間関係、失恋、自己嫌悪、関係者の死、差別、葛藤、障害、欲望、自信喪失、離婚、病気、事故、破産、失業・・・。

 背負いきれない荷物を背負って、それでも人は生きている。ある時は怯える心と寂しさをオブラートに包み、ある時は抗うべくもない現実を丸ごと飲み込んで、人は生きている。

国連障害者の権利条約、日本政府代表団の顧問を務めた
東俊裕氏(弁護士・障害当事者)が

熊本学園大学のホームページ教員紹介プロフィールで書かれている
学生へのメッセージ「障害当事者から見た世界 - 福祉・人権の視点から-」冒頭の部分。

ちょうど、精神障害のある女性の自殺幇助でFENから逮捕者が出たり、
オレゴンのウツ病患者がわざわざテキサスまでいって幇助自殺していたり、
そういう事件を考えていたところだった。

どん! と衝撃が腹にきて、
この数行に自分が丸ごと鷲摑みされた感じがした。

「障害が耐え難いから死にたい、死は自己決定できる権利だ」という人たちに、
この数行の静かな言葉が、はらわたに響くような大声で
「それは違う」と言っている。

この人自身が、自分のはらわたから絞り出した深い声で
それは違う。死ぬな──と言っている。


メッセージはこの後、次のように続く。

これからの君たちに暗い話をしても、と思う反面、同時代の人々の生き様に関心を向け、同じ目線から時代を見据えることの中に真の学びがあると思う。

 君たちが学ぼうとする福祉の世界は、君たちから見ると、日常とはかけ離れた世界に映るであろう。しかし、障害のある人の世界とそうでない人の世界は決して別物ではない。一般社会の矛盾を映し出すのが障害のある人の世界であり、置かれた状況である。逆に障害のある人が幸になることは、社会全体を豊かにすることでもある。

 学ぶということは専門性を身につけることでもある。しかし、福祉の専門性は、時にパターナリズムに陥る。障害当事者の主体性を担保し、専門家との対等な関係を築き、福祉施策の方向性を基礎づけるのが人権である。


東教授のプロフィールページはこちら